シーカヤックの小さな旅行
急な出発であった。昼に仕事が終わり明日の予定も抜けてしまった。カヤックにキャンプ道具を積み、16時出発でもあった為、最短の距離で行ける所へ島渡りをしていった。隣同士にある島は2箇所とも新城島。北側は上地島、南側は下地島と呼ばれる。上地島に島民は住んでいるが、閉鎖的であり上陸はいいように思われない。下地島に在住の島民はおらず、私有地だそうだがキャンプするには下地島の海岸だけだと聞いていた。
19時過ぎには日没だ。10キロ程、2時間の漕行時間で渡り、西表島を見渡せる場所の海岸を選んだ。さっさとテントやら、慣れた準備を終わらし、沈む太陽は俺を炙るように照らす。ビールをグビっと喉をグビグビ鳴らし飲み込んだ。
その日の夕焼け空と夕日は雲の少ない空を染めていた。海と夕日が溶け合うさまを眺めていた。
夜メシの準備を進めていたけど、急いで準備したのが仇となり忘れ物だらけで笑ってしまった。
無くてもどーにかなるものばかりだが、箸もなけりゃまな板もない。クッカーに使うバーナーすら忘れていた。ガス缶は持ってきたくせに。
結局焚き火で済まし、箸は落ちていた竹をナイフで切ってそれらしく。白飯を1合炊き、キューブタイプの鍋の素を切った野菜とウインナーで煮込んで食べていた。腹は満たされず、スパゲティを茹で、タマネギをスライスしてツナ缶と和えスパスパ食べていた。
腹も満たされ動作はのろのろ、焚き火に流木を投げ込む。グダグダと過ごし西表島内の灯りを見渡し、島で付き合いのある人達の事や、今までの事これから先の事などを考える。凝り固まった頭をほぐすと言うのか、家に居るよりかマシな気がした。仕事の数も減り無駄な時間が増え過ごす毎日がバカらしい思える。
なるべく出かけるようにしているが、家では勉強したり読書や映画など時間を過ごしている。どちらにせよ静かな時間が増えて、ここのところ、感情の起伏がなくなっていた。色々と透明になる。こっちでよくある事なんだけど人付き合いも浅く広いだけ。家に籠った日は酷い自己嫌悪に苦しめられる時がある。自身の卑小さ、成長のなさ。仕事に打ち込むようにして蓋をする。見て見ぬふりを続けた挙句だ。以前までは、そこから目を逸らせる程度に忙しい。まぁまぁでやり過ごした。これが大人の処世術とやらみたいに。
西表の上手く友好関係を保てなかった以前仲も良く好きであった人もいる。原因は俺にある。11月終わりに本州の大切な友人が亡くなり、12月実家の家族、親戚の病。病院費。帰りたくても帰れない。気持ちが顔や態度を表していた。落ち着いたもの月日も経ち、味の無くなったガムみたいな会話はたまにある程度で、愛想も無くなってしまった。上手く話せない上、背を向け更に考え過ぎで言葉に詰まる。自分の不器用さが嫌いだ。そのクセに時折器用に立ち振る舞おうして、思ってない言葉を言う自分はもっと嫌いであったりする。
これから先の未来、いつかやりたい事だってある。むざむざと歳を重ね始め焦りがある。俺にとっては夢物語であり、本州でしたいことがあって実現できたら。
その為の中にカヤックがあって、その為の西表の生活を続けているが、もう離れてもいいかもしれない。
いてもたってもおられずこうしてひとり、小さな旅に出る。単調にパドリングを繰り返し落ちつかしてくれない海に向かい外で過ごした日は素の自分になる。感情が豊かになり視界と思考は鮮明であり、バイクに乗っている時もそう、目まぐるしく五感は鮮やかになる。
旅をすると旅は答えをもたらすのか、いずれ自分の暗闇がまた更に襲い、嫌いな自分とは向き合わなきゃいけないだろう。
黙々と焚き火に木をくべていると、月明かりに照らされている事に気づいた。
全てが明るく、ランタンの灯りも不要な程周りがよく見える。
写真を撮って
俺自身の暗闇は、明るくなるだろうか。明るくはならずとも、暗闇は少し薄くなり自分の奥底でそっとしてくれたらいい。幾ら旅をしたところで何年も生きた自分は簡単にころっと変わらない。何となく、付き合い方が分かってきている。小出しに付き合っては、飼い慣らすように、いつか馴染むことができるかもしれない。
答えは無いけど…。素直に向き合えたらいい。
月に照らされできた影の半身にそっと思いを込めた。
ラジオをつけたけど、まともに日本語は拾えず持ってきた小型スピーカーで音楽を流した。
ずっと音楽を流し月灯りの明るい海岸を散策し、焚き火に木を沢山くべてゴーゴーと燃やし狼煙を上げた。
長々と考えを巡らし時間は経ち
ぐるっと月は空をまわり海を照らした。
カヤックに乗り込み、月灯りの道を少し漕ぎ進んだ。濡れると寒かったが気にならなかった。
濡れた身体を拭い、テントに戻り気持ちは穏やかになって暖かい寝袋に包まって眠った。
数時間の睡眠から日の出と共に目が覚め、朝が眩しかった。夜に食べた鍋と同じ物を作り、更にそうめんを入れ、にゅうめん野菜鍋朝メシの出来上がり。カンカンと鍋を箸で音を鳴らし腹にかきこんだ。
コーヒーを淹れたヒビだらけのステンカップを片手に海岸の漂流物を蹴散らしながら散歩。
珍しい物らしく、透き通ったガラス玉を見つける。首から下げてるコンパスと大きさを比べた写真。
ガラス玉越しに見える海と空はより一層と青かった。
テントに戻って拾ったガラス玉を転がし、少しの読書から寝袋に潜り惰眠をとる。
太陽も少し上がり暑さに目が覚め、海で顔を洗い、汗流しに泳いで涼を感じる。
こっそりと夏が刻一刻と近づいて潮の満ち引きが季節の変化を分からせる。
タラタラとテント類を片付けカヤックに積み込み下地島南東辺りまで漕ぎ進んだが、潮が引いて途中から陸地に阻まれ進めなくなった。
アンカーを落としカヤックから海に飛び込む。下地島リーフ内は水深があって、魚達がのびのび泳ぎ溢れている。モリで突けるか試行錯誤するが、まだまだ未熟で下手くそ。待ち構えても目の前をウヨウヨするのは熱帯魚だけだった。
悩みすぎ考えすぎもあるだろう。めんどくさい奴だと思う。自身と向き合う歳になってきたのだろうか。漫然とただ楽しく人と遊んでスマホでゲームして過ごす時間よりいいかもしれない。
新しい変化や場所が変わればそんな事考える暇もないだろうが…
時折、溜まったガスは抜いて生きて、自然体でこれからも優しくありたいね。
カヤック旅 石垣島一周 後編2
2月22日 東風速4m
昼頃に出航予定。朝はゆっくりと木陰で読書していたが、世話になった人の息子のきんちゃんに暫く付き合っていた。朝のラジオを聞きながら、土遊びをして近くの遊具で遊び、きんちゃんとすべり台で遊んでいた。きんちゃんは朝メシを食べてないのか「ラーメン食べたい〜!!」って。残ったうまかっちゃんを作って2人ですすっていた。
皆の帰る姿ときんちゃんの寂しげな姿を見送り、最後に残ったあっちゃんも俺も、出発の準備をしていった。
最後にあっちゃんと海岸に座りタバコを吸いながら波打ち際を前に別れの挨拶をした。
「かずにい、無事終わったら連絡してね!」
あっちゃんは迎えから見送りまで、一緒に過ごせた時間はとても嬉しかった。彼女も自転車で平久保岬まで進むようだ。暑い日寒い日、天候が崩れる日もあるだろうけど、無事に彼女も過ごせる事を切に願った。
出航して振り返るとあっちゃんは遠くで手を振って「かずにいまたねー!」と声が聞こえ
見えるようにパドルを高くあげ「ありがとうー!」と声を送り別れていった。
伊野田の海を過ぎ白保へと、宮良海岸へと漕ぎ進む。時間には余裕があり、時折漂流するようにカヤックから足を外に投げ出し寝転がって雲一つない空を眺めていた
予報だと天気がいいのも今日までで、明日から風も強く吹きこんな風にのんびりしていられないのだろう。道草ばかり食ってないで漕ぎすすめ、終わりを迎えよう。夕方には宮良に着こう。携帯食の残った黒糖を食べ切って腕を動かした。
身体のあちこちが痛かった。歩いていたり椅子に座っている時は感じなかったが、漕ぎ出して暫くすると、ズキンとくる肘の痛みや、フットレストにかけてる足から膝のつけ根。特に腰への負担が強くあった。
白保地区に入り、近代的な建物の空港横の海を進み、真上上空を飛行機が行き来していた。轟音が耳に響き渡り、自然を通じた旅の景色は、近代的な新しい物の景色に変わってきた。
白保地区の海は格別にまた綺麗だった。エメラルドの海底に見える白保のテーブルサンゴをかき分けるよう、一漕ぎするたびサンゴは後ろ後ろへと下がり、海面まで眼下40センチ程だがカヤックは宙に浮かび進んでいるようだった。
宮良湾に入り、テントが張りやすく、友人と合流のしやすい場所を探した。宮良の海岸の殆どが足場の悪い岩が多く、最初は宮良地区の対岸に大浜地区があって、テントを張りやすそうな大浜海岸に着岸した。犬の散歩やランニングする人が行き交い、テントを張ろうと思った場所に犬がウンチする姿を見て冷めた。
結局宮良地区の海岸の、スロープから上げた周辺でテントを張り、さっさと着替えてルーティンワークの焚火の木材集め、白飯の準備や、ランタンを吊すための位置合わせ。ラジオのアンテナが良く拾う場所探しや…この流れも今日で終わりを迎える。
夕日は街の影にすっかり隠れてしまった。
残った食材と適当に拾ったアーサーを鍋につっこみ、炊いた飯をかき込むように食べ、ランタンの灯りで手元を照らし読書していた。
夜は少し寒かった。足先を暖める焚火は時折パチンと弾けては裸足の足に火の粉が降り「あちっ」っと小言を呟くも、焚火から離れられなかった。
暫くして仕事終わりの友人が遊びに来てくれた。差し入れに今日はエクレア。海旅に甘い物は無縁で、甘い物好きの俺は、淹れたコーヒーを片手にエクレアは嬉しさと甘さが口の中に広がった。
明日午前10時頃に迎えに来てくれる。最後の一仕事はそれまでにカヤックの分解と荷物のまとめをするだけだ。
友人に「もう終わった」と感じるのか「やっと終わった」と感じるか、どちらなのかと聞かれ少し答えに迷った。その時は疲れ切っているし、温かい布団で眠りたいだの思い、やっと終わったと答えは出したけども、次の日、カヤックを分解し一通りパッキングを済ました時にもう終わってしまったのか…と意思は変わっていた。そう思える事はきっと、自分の中で得た事が沢山あって少しの成長があったからこそ、そう思えたのだろうと答える。とにもかくにも、暫くの休息は必要だけど…
次の日の天気は予報通り崩れていた。北風が強く吹き朝は小雨が降っていた。風下の宮良では、雨はしとしと降りテントをパタパタと小さく叩いていた。
友人が迎えに来てくれて昼食に真栄里の食堂へ行った。
俺の拳ぐらいある、からあげにご飯大盛り。お店の人が「お兄ちゃんおかわり欲しかったら言ってね」んなバカみたいに食えるかと思ったが、おかわりしてはバカみたいに食った。
夕方まで友人と過ごし予定通り船で西表島に帰った。
漕行距離167キロ
たったの9日間だけど、いつもの9日間とは違う。ありがちないつもと、大きく違う生活を続けると、本来の自分の姿が現れ、自分らしかった気がした。
この9日間は出会えた方々に対して感謝の気持ちと、特にサポートや撮影をして共に過ごしてくれた友人にとても感謝している。どれだけ言葉費やし伝えても、感謝の言葉は足りない気がする。本当にありがとう。
もし同じように誰かが海旅をしたいと口にするならば、技術が伴えば一人で行く事も勧めたい。誰かと行けば、誰かとの時間に費やし、それもいい思い出になるけどね。
一人自由に進む事が出来たなら、そこには色々な人との出会いや、新しい可能性が、きっと広がると信じている。
それはきっと、海の広さぐらいにね。
石垣島一周の日記はここまで。また何かあれば。ふざけ記事かもしれないけど。
もしここまで読まれた方に、ありがとう。
カヤック旅 石垣島一周 後編
2月20日 南東風速3m
「帰ったらまた連絡してな」多良間島に行く船の準備をしながらそう言い、ショウキチさん達の早朝の出発を見送った。
見送り後テントを片付け、出発の準備をして、前日ショウキチさん達からおにぎりを作ってくれてたのをほうばりコーヒーを飲み静かな海を出航した。
風も弱く暖かく、天気も晴れ渡り大きな海原を漕ぎ進んでいった。
海は凪で伊原間の浅い海底が見えている。パチャン、パチャン、パドルが海を拾う音だけが聞こえる海を進んでいった。
友人が12時に平久保岬、石垣島の最北端の場所で待ってくれている。その時間に合わせ伊原間、久宇良を横目に過ぎていく。
時間を合わせるのに途中海岸でコーヒーを作って飲んでいた。
漕ぎ進んだ海を振り返って
「石垣島一周も半分を過ぎるか…」
毎日天気に恵まれ、風が味方となっていると、とっくに一周も終わってんだな…。自然相手のことに毎日好都合なことがあるわけないし、どちらかと対峙する事が多かったけど、そんな日々を耐え過ごした後は穏やかな日にとても感謝できる。
せっせ早く進んでいたらショウキチさん達にも会えなかっただろうが…
眩しい静かな海を、浜に座り眺め考えていた。
時間がきて漕ぎ進んだ。灯台で友人が手を振っている。待ってる友人の姿を見て嬉しくて嬉しくてパドルを高く持ち上げ合図をした。
灯台周辺には観光の人だろうか、人集りあった(後日友人からの話。観光の人にあのカヤックの人はお知り合いですかなど、その場で何度も声をかけられついでで観光の人達の写真撮影のサポートばかりするハメになったそうだ)
友人が望遠レンズで撮影した写真。スマホでは全くどこにいるか分からない写真になるようだ。
大海原の元では人はとても小さく、写真を見ると海旅の壮大なストーリーを物語っている。
友人は海岸まで移動していてくれて、軽く話をし、東海岸近くで会えればと話をした。
浜から海に戻る時。
今日は北風でいいんだよ…。微風ではあるけども向かいからくる南風は生温かった。3日間の寒空とは違い汗ばむ身体。スプレースカート(波が船室に入らない着用するカバー)も外してしまった。
北部東海岸は緑、茶、空の青、雲の白色の色彩だけで、島らしい景色、人が来ることもない。放牧された牛達が歩き回り、海岸近くまで降りるのもいれば、群れて草をついばんでいる。波音立てたカヤックをギョロっとした目つきで牛達は眺めていた。
友人が撮影ポイント近くに着いたら連絡してほしいと聞いていて、海上で電話のやりとりをした。指定された周辺に着いたが見つからないと…。何度も電話を切ってはかけて、小さな自分を見つけるのに苦労させた。
撮影場所にしたのは明石のパラグライダーが飛び立つ高台からで、肉眼では見えなかったようでカメラのファインダー越しに見つけたそうだ
空を飛んだ事はないけど、きっと、想像がつかないほど気持ちいいのだろう
撮影を終えた友人と電話で話し、夕方から仕事に向かっていった。カヤック旅を終え、会う時がとても楽しみだ。ありがとう。
明石海岸を越え漕ぎ進んだ先でスイッチが切れキャンプすることにした。
テントを張り、釣りをして魚を取りつつも、ヘマして根掛かりして、回収に潜りついでに泳いでは伊原間の海を楽しんだ。
2月21日 東風速3m
空の明るさがテントを照らし眩しさに目が覚めた。
食材も乏しくなって乾き物のパスタを茹で、玉ねぎとシーチキンを和えた。
ゴールは宮良海岸としていた。友人の都合もあり、明後日の午前に合流予定だ。今日、明日午前はのんびりしようと思い、少し漕いだ先に伊野田キャンプ場がある。シャワー浴びて冷たい水でも飲みたい。決めてしまえば準備はそそくさと済ませれる。
伊原間湾、玉取崎展望台を過ぎ伊野田周辺に着いた。
「キャンプ場どこだよ…」
道路からだとキャンプ場の入口はすぐ分かる。
海から見るとさっぱりだった…。地図を見ても漠然とも分からなかった。海岸には似たような入口がありふれている。暫く周辺の海をうろうろとしていた。海岸に着岸して歩いて確認しよう。
海岸に向かい漕いでいると女性らしき姿の人が手を振っているのが見えた。恐らくキャンプ場がある周辺だと思うが…。近づき姿が見え、髪の長い、ワンピース姿で麦わら帽子が似合う若い女性だった。
「カヤックが見えて手を振ってみて…来てくれたんですね」
そう言って、笑顔で話してくれたのが印象的だった。
少し話し
「キャンプ場を探していて、海からだと分からなくて…」と聞いて「今キャンプしてるから案内するよ」と。偶然にも彼女はキャンプ場でキャンプしている人で幸いだった。彼女はあっちゃんと呼び、あっちゃんはキャンプの施設の位置や、管理人の方や他のキャンパーを紹介してくれた。
以前のイメージで、閑散として誰もいない、静かな場所を想像していたけれど、近年のキャンプブームでキャンプ場は沢山の人で賑わっていた。
あっちゃんは面白い女性だった。石垣に来てすぐ働き先が休業となり、急遽自転車で石垣島巡りに出発し、キャンプは始めたばかりで、寝袋やクッカー等はあるがテントを持っていなかった…。余計なお世話だろうが女性一人テント無しは心配になるもんだ。
他のキャンパーとも俺はあっちゃんを介して仲良くなった。海から来た人と言われ話題になったようで、すんなり周りに溶け込むことができ、食材が余ってると言いながらも沢山のご馳走を頂いた。
夜も更けてあっちゃんの持っていたウクレレで音楽祭りとなった。キャンパーの皆は石垣島のバンド仲間のようで、島では名が通った人達だった。ウクレレが奏でる音楽と飲む酒に酔いしれ時間は過ぎて…
とうとう俺の石垣島カヤック旅も後少しで終わりを迎える。もっと孤独な静かな旅になると思っていたけど…。声はいつも聞こえ、寂しく渇くことはなかった。
枕元にある腕時計の秒針の残響音が心地よくその日の夜もぐっすり眠ってしまった。
カヤック旅 石垣島一周 中編2
2月18日 北東風速10m
前日の夜は寒すぎて、目が覚める夜で寝不足になっていた。
起きて港から海を見ても、湾内ですら海は荒れている。
昨日飲みながら、ショウキチさんが明日船着場に集まりがあるからよかったらおいでと聞いていた。
船を止めてる場所に行くと、漁友会の人達が数人作業していた。一隻の船を作成しているようで、挨拶をしてから少し手伝える内容だけ手伝っていた。
その後、サカグチさんから電話がなり「手伝って欲しいことが〜あってね〜公民館長からもお願いだと〜」挨拶も含め行き手伝い事を作業して昼食に近くの新垣食堂で牛汁を頂いた。
その後サカグチさんの車で、俺の運転でドライブをする事に。
最北部、平久保岬。天気は凄ぶるいいけど、目が渇きそうな程に向かいからの北風が強かった。漕ぐ海を見て、風が吹いていてもさほど海は荒れない事だけ分かった。
サカグチさんは市内に行く用事があったみたいで、行こうと言われ俺も服を買い足したく市内まで行き、その日の夜もショウキチさんや他顔ぶれも揃い夜食を頂いた。
2月19日 北東風速8m
20日、明日には風は収まり天気は回復するようで、そのタイミングでカヤック旅を進めよう。
今日少し荒れていたが野底、伊原間周辺の海をカヤックで散策することにした。潮が引いて行けなかった吹通川まで満潮に合わせて向かう。
「進んだ海を戻るとはなぁ…」
吹通川まで距離は感じるが、強い北風が背中を押して戻る海は楽だった。行きたい方向に船首はズレていく…
吹通川には満潮30分前ぐらい漕ぎ始めることができた。橋の下で沢山のサップを漕ぐ人を見た。初心者らしき動きで、ひっくり返す人が多くツアーで来てんだなと、横目に会釈しながら川を上っていった。
吹通川のマングローブ群落
荒れた海ばかりの時間を過ごしていると静かな川の時間が優雅なもので、時間の流れかたが植物達のリズムに切り替わり穏やかだった。上流の浅い場所まで行き休憩をとった。朝淹れたコーヒーをボトルに作っており、カヤックの上に座り飲みながら植物を眺めていた。
川は細い支流がいくつかに分かれていた。どの支流も短くあっという間に終わる。一通り巡り戻る途中、サップのツアーの人達とすれ違った。サップに立膝で座り漕ぎ、とても楽しんでるのが分かるほど大きな声で挨拶してくれた。
海に戻り曇っていた空は晴れ渡っていた。
元来た海を少し戻り、船越湾の外海沿いに久宇良に向けて北上していった。
外海真ん中に浮かび、遠くを見て点に見える久宇良の先っぽ。一口ボトルから水を飲み海を覗きこむ。青く澄んだ海が照らす太陽を吸い込み、光の束が海底へと伸びてるのが見えていた。
気が遠くなる程深い海の上を浮かび、見渡す限り空と大海原の上を漕いでいると地球の星の表面をカヤックで漕いでいるようだった。
久宇良から船越に向かってのんびり漕いで進んでいった。
伊原間の周辺の島の岩肌は海に削られ、琉球石灰岩の岩が多数点在していた。
こういうの好きな人は好きなんだろう
俺はこういうちょっとした穴が好き
暫く進み
階段…??
その先にはコンクリートの足場があり気になる…。道路に出れるのだろうか?カヤックを着岸して海を歩き足場に登って探索してみた。
高くそびえ吹き抜けた岩に囲まれ道。海の音が岩を反響して突き抜けていくようだ。
歩いているとトンネルのような鍾乳洞が分かれ道現れ、覗くと陽気な音楽が…。その時に理解した。
確か北部の(お金払って入る)鍾乳洞で、鍾乳洞を歩いた先海に出る場所と言われる観光地であった。
さすがに鍾乳洞の中までは入る気にならなかったので海沿いの道を少し歩き、パワースポットの看板がありその方向へ
まぁ、穴。
船越に戻り、その夜もショウキチさん達やサカグチさん達と過ごした。
明日には出発か…。同じ時間を長く過ごすと寂しくなってしまうもの。明日はショウキチさん達も多良間島方面に船を出航するようで、俺は人力だが互いに船出となる。皆と握手を交わし安全な航海を、楽しい1日を過ごす約束をした。
最後に俺の貴重品ボックスにサインを書いて思い出としてボックスを閉めた。
カヤック旅 石垣島一周 中編
2月16日北東風5〜6m
10時半頃出発
16日の天気は安定するようだけど
17日の予報が風速15m以上となっていた。雨も降り、それだけ風が吹けば余韻のシケもあって18、19日も?風速予報8m前後、暫くの停泊が予定される。
周りに何もない海岸場所で停泊は嫌だし、何より3日もテントに篭りたくはない。
水場と東家があって風を凌げる場所である米原キャンプ場を目指す予定をたてた。
吉原海岸からは山原海岸(クリスタルビーチ)を過ぎた先に米原キャンプ場がある。
吉原海岸のリーフから外海に出る時。
白波が立ちにくい広めの離岸流があるため外洋に出やすかった。
少し漕ぎ進み、クリスタルビーチ辺りを見渡すと白波が連なって上陸はできないようだ。。
吉原から米原キャンプ場まではさほど距離はない。5キロ程度と予測してのんびりと気軽な感じで漕ぎ、米原のビーチを前に来た辺りでリーフに入る場所を探した。米原は石垣島で1番の海水浴のポイント。さぞ人も多くと…見渡したけど人集りはいなかった。泳ぐ人、散歩する人、サーフィンする人が数える程だった。泳いだり魚取りするには良い環境だろうと思い漕ぎ進める。
北風の影響で全体的に白波も立っているけど、波の大きさが小さい場所を判断してリーフ内に入っていった。サーファーが「どっから来たんだ」と言わんばかりの視線を前にカヤックで波をサーフィンして、穏やかなリーフを漕ぎ海岸に着岸。
観光客がいない米原海岸にて。
久しぶりに米原海岸から陸地側、キャンプ場になっている側を歩いてみると、トイレや炊事場などに張り紙が目立っていたのが気になった。
「許可無き者海岸への進入禁止」
「長期キャンパー禁止」
「国立公園により以下項目を禁ずる」
こんな場所で許可取ってまでキャンプするか?と考えながら道路側の入り口に向かうとゲートもされていた。
近所の店にキャンプしても大丈夫かと聞いてみたけども、対応先が違うようだったようで、面倒なのかやるせない対応だった。
適度にお礼して自販機でコーラを買って海岸に戻り
この場には縁がなさそうだと思った。仕方ない。頭を下げて申し訳なくなりつつキャンプ場を開けてもらう気にならなかった。
米原キャンプ場を後にし、向かう先は船越漁港を目指す事にした。
船越漁港には行った事がないが水場ぐらいはあるだろう、漁港なら風下になる場所も見つけられるはずだと考え…。
「まー何とかなるだろ〜」
「運が〜悪けりゃ〜死ぬだ〜け〜さ〜」
懐かしい曲を歌いながら。
米原を過ぎ、野底周辺の海を進んでいった。
振り返り遠くに見えるのは川平の岬が見える。
真っ直ぐ外海漕いだらあっという間に進んだろうな。
ついでに寄りたかった場所があって野底には吹通川というマングローブが生い茂る川があるので寄ってみたけども、潮が引いてしまって近づく事も出来なかったのが失敗した。
海岸で休憩を取って過ごしたりとして、船越漁港まで漕いでいった。
漁港内は静かで周りを見渡しても人の気配があるか分からなかった。スロープにカヤックを着岸して漁港内を歩いた。
漁港内の小さな桟橋に屈んで作業する人集りを見つけ、漁師らしき真っ黒に日焼けた顔でいかにもな感じであった。漁港にテントを立てていいかとだけ聞いて軽く承諾してもらい荷物を移動した。
漁港内は児童公園も併設されていて芝生が広々としていた。水場もトイレもあるし楽に過ごせそう。来ないと思うが子供達でいっぱいになったら…まぁ楽しそうか。
広い芝生の隅っこにテントを立て、念のためカヤックは海から陸地まで担ぎ運んでおいた。
「明日ほんとに15m以上吹くのかな」
生存連絡を済まし、あれこれ準備をして暫くして友人が車でやって来た。
天ぷらと唐揚げにじゅーしーを差し入れに持って来てくれた。
友人には頭が上がらない。差し入れも含めモバイルバッテリーの替えまで持ってきてくれた。
この海旅を一番に応援してくれる人だった。
少し話、公園の手を離すと止まる蛇口を捻ってもらい久しぶりに石鹸で洗髪をした。
魚(ガーラ)も漁港で釣り上げる。
夜食は刺身と汁物を作り、取り皿とかそんな物は無いので、メスティンの蓋とケースを皿に、刺身はシェラカップの淵に並べて真ん中に醤油を溜め2人で食べた。
「釣ってすぐの刺身はまた美味いな〜」
「んな天気いいのに明日ほんと荒れんのかな」
夜が更けていき漁港は灯りが少なく、ランタンの灯り以外周りは暗闇だった。空は星で明るく、星の川が流れていた。
友人は帰りほろ酔いになってテントでぐっすりと眠った。
2月17日予報風15m
時間は分からないけど、おそらく3時頃。目が覚めた。静かだった空が嵐のように吹き荒れだした。雨は降ったり止んだり。降ればバケツをひっくり返したような豪雨そのものだった。
止んだタイミングでカヤックを見に行って大丈夫そうでホッとした。
キャンプにマットを持ってきてないから、何となし底から浸水が…見て見ぬふりをしてそのまま眠りについた。
目が覚め、寝袋から出ると寒く雨は降りそうな空ではなかったけどどんよりと曇っていて、出る気も無くコーヒーを作り、テントの中で寝袋に包まり昼まで読書していた。
近くに商店はあるだろうかと思い漁港から道路へと散策に歩いていると、漁港を出た左側に商店が見え歩いていると
「おーーい。おーーい。」
歩道の反対側の建物から男の人が手招きしていた。手招きに合わせて建物の中へ入ると、70代の漁師らしきおじさんと手招きした50〜60代前後のおじさんがコーヒーを飲んでいた。
建物もさる事ながら、中も異様なものだった。
シャコ貝やタカセ貝などの抜け殻が敷地内に散りばめられている建物で、その数が尋常じゃないほどに。横に手作りパトカーが置いていたりと怪しげな場所だと以前から知っていた。
漁師の人はショウキチと名乗り、手招きした人はサカグチと名乗りどこから来たのかと質問攻めにあった。建物は以前まで老夫婦が飲食店を経営してたようだが、亡くなってしまいサカグチさんが借りてるようだった。
ショウキチさんが「君が寒そうに歩いてる姿を見てなぁ、コーヒーを飲ましたくなったからさね。声をかけたんだよ。」
その日の石垣島は15℃前後で風も強く吹き、体感温度は下がる寒空。7分丈の短パンとヒートテック1枚の俺は寒過ぎた。
「港にテント張ってる人ってのは君のことか」
「カヤックでどこからか現れた人だよな」
ショウキチさんは「何処から来たんだ」と尋ね「西表島ですね」と答え驚いていた。
ショウキチさんは船越を拠点に飲食店の経営と、漁師として電灯潜りのと釣り船をしているようだ。電灯潜りとは夜の海に潜り、眠っている魚を突く海の男だ。
サカグチさんは…この人は不思議すぎる人で、自称プロデューサーと名乗り、怪しい仕事の話ばかりだった。
コーヒーを頂いた後、八重山そばも頂いた。合間にトイレを借りた訳だが…
便座に座ると自身までも物言わずの貝になったようだ。
ショウキチさんが「夜はうちにご飯食べにおいで」と言い、有り難くご馳走になることにした。
夜はショウキチさんのお店で2人で食事を頂いた。その日は他に客はいないようで、そーめんチャンプルや刺身や、他にも色々な料理をご馳走頂いた。冷たいビールが喉を潤し、すぐに2本目をプシュ!っとカカーッと喉を流れていった。
餌をあげるショウキチさんに集まる熱帯魚
酔いもお互い回りつつ
「カズヒサくん、海は誰しもが…全ての人が海から産まれて…海は母なる場所なのだよ。」
「海に愛されるか愛されないかは君次第だけど、時には試練も与える。向かい合った時決して諦めないように…」
島酒でフラつく手つきに足取りもふらふらになっていたけども、目は輝いていた。
千鳥足でテントに戻り寒空の夜を眠った。
カヤック旅 石垣島一周 前編
2月14日
朝8時前に漕ぎ始めた
遠くから、島の朝8時の音楽が流れて聞こえてくる。おはようございますと、行ってきますを思い、西表から石垣島を目指した。
道筋は以前渡った時と同様に、小浜島から竹富島、石垣島へ。陸地の最短を漕ぎ進むように行った。
風も無く快適に島に向かって漕ぎ、マリンブルーのリーフを越えていくと、藍色のような青色の海が広がりシーカヤック旅が始まったと身体とカヤックは進んでいく。
いつもよりスピードを乗せるのが重たかった。キャンプ道具から食料、水、長期滞在を見通しての道具類。欠かせないビールも積み。。。スピードを落とすと漕ぎ始めが重たくずしっとしていた。
小浜から竹富島を目指す。寄り道に島で休憩は取らずそのまま進む。身体の疲れはまだまだ大丈夫だったが、腰の痛みが少しと、右肘に違和感があったのが気になる。
少し北の風が吹き始め竹富までが長く感じた。白い波までは出なくても、カヤックのバウ、船首が小さなうねりを裂いては、飛沫が顔を濡らしいった。
竹富島は観光客がちらほら見える。人気のコンドイビーチ?に人がまばらに歩く姿がみえていた。
上陸して少し休憩したく少し外れた場所に桟橋が見えていた所に向かった。
上陸して、朝飯なんだか昼飯なんだか分からない海水に少し濡れたおにぎりを食べ、携帯食の西表黒糖をぽりぽり食べていた。
夏とまで言わないが、眩しい暑い日差しが海を照らし木陰でのんびり横になって海を眺め涼を感じていた。石垣に着いて振り返って西表島を見るのが楽しみだった。考えるだけで島から島へと渡るのは海賊になったようでワクワクするもんだ。急ぐ旅でもない、穏やかになるまでゆっくりしようとしていた。
漕ぎ始め、右肘の違和感は痛みに変わってきた。筋が痛むような。。
石垣島までは距離はない。以前のかかった時間を思い出しても10キロもない距離。推定かかる時間1時間ぐらいだ。
少し風が吹いてきて浅いリーフとは違って水深がありうねりが上がってきた。時折返し波があってブレースを当て波が身体をぶつかってゆく。船の行き来が目立ち、右見て左見て、後ろ見て。海上保安の船や島を渡る定期船の行き来、数が多く慎重に確認しながら海を渡っていった。前も後ろも定期船、高速船が通過した時には腰が引け、恐怖があった。あんなのに引かれると確実に死んでしまう。。。
船の行き来が静まり、パドルの水をかく力を一漕ぎ一漕ぎ強めてスピードを乗せていった。
リーフ内に入り石垣島の人や車も見える。観光客もいて、釣り人もいて賑わっていた石垣島の南西に位置するフサキ、観音崎灯台に着岸した。船の恐怖から解放され防波堤で横になり足を伸ばした。
「…とりあえず周る目的の島には着いたな」
落ちついて灯台から西の先に見る海を眺めていた。北風が吹き、潮が引いた海は白波が立ち進み難い海になっていた。予報風は3〜4m。
「当たってねぇな」
人も賑わってきて、落ちつく場所でゆっくりしようと動きカヤックに乗り込んだ。名蔵湾を越えた先に、友達と遊びにきた浜があった。灯台から見て目視感覚2時間以内だろうか、そこを目指した。
風がまた次第に強くなってきた。荷物を積んだカヤックは漕ぎ始めが重たく痛んだ肘が更にズキズキと痛む。思うように進まない。。
風でパドルが飛ばされないよう握って、内海の海流も強く、3〜4キロの遅いスピードで腐らず漕ぎ進み横目に名蔵の橋やフサキのリゾートホテルを眺めながら進んでいった。
ログの切り忘れもあるけど、たった8キロの距離を大体3時間かかった。いつもなら1時間半程。
予定していた場所は、テントを立てようにも潮が上がったら人が歩く程度のスペースしか見当たらない。海岸を散歩してあーだーこーだ…面倒なって砂浜で寝袋だけで寝ようかと考えた。
暫くして釣り人が話しかけてきて、海岸沿いにテントを開きやすい場所を教えてくれた。
(友人撮影)
漕行距離36キロ。波照間島に渡った時と然程変わらない距離。疲労感がどさっときて、食事は簡単にカレーを作ってラジオを聞きながら照らす月をぼーっと眺めていた。仕事終わりの友人が遊びに来てくれたのはとても嬉しかった。差し入れでコンビニで売っている天ぷらとシュークリームを持ってきてくれた。疲れた身体には甘さが広がり美味しかった。
暫く話、星の話をして眠りについた。
2月15日晴れ。北風4m予報。
9時過ぎに漕ぎ始めた。湾の奥、風下に位置する場所だと北風は無くパドルが水を割く音だけが聞こえる静かな海を進む。毎日こんな調子というか、穏やかな海だといいなと切に願いながら…
暫く漕ぎ進め、湾を越えて島の西側の大崎ビーチ周辺を横目に過ぎていく。ダイビング屋、サップしている人達、サーフィンしている人達の数が目立つ場所だった。
風が次第に北風が強く当たり始めた。中々思うようにいかないもんだ。
びゅーびゅーと北風が通過していく。漕いでいないと流れと相まって戻されていく程。。
向かう先は御神崎。石垣島の海周りでリーフが無く、岬に波が当たり荒れやすい場所だ。
「この風だと荒れるかな…」風速予報の4mなんてとっくに越えた。
沿岸すぐ近くや、岩礁辺りは白波が生き物ように動き高い位置から覆い被さる動きだ。
写真を撮る余裕がギリあった時
断続的に前からくるうねりも時折白波に変わり、こちらにも白い牙を向けて襲いかかる。沈のないようブレースを当てつつ進みパドリング。浅いリーフという訳でもなく、外洋らしい海が続いた。
変わらない白波にうねりだけなら問題はなかったが、灯台真下辺りから海に変化が現れた。岬の先に当たる場所。外洋からのうねりは、灯台周辺の小さな島のような岩礁にぶつかりちらして最悪な三角波ができていた。三角波は空から無数の爆弾を落としてくるよう、不規則に高い三角波が周り一帯を埋め尽くした。
気を抜くと三角波から突き上げられてまずいことに…この環境で沈してロール(乗ったまま船を起こす技術)できるか海の動きも早く微妙だ。
震えた気がする。緊張があって手を止める事はできない。
パドリングに全集中を送り、高い三角波を確実にブレースを当て御神崎を越えていった。
崎枝湾にて
出発地点から反対側にぐるっと回ってきた。
「ふぅー生きてる」
ふらふらした足取り、砂浜に寝転び少し震えた足を黙らせた。
北風が湾内を突き抜ける。日差しが照らしてくれてよーが、濡れた身体、強い北風、寒く岩の風下に隠れ少し昼寝をして時間を過ごした。人なんて来ない場所だろうと勝手に思っていたけれど、さすが石垣島。西表島と違って海岸に人は来る。
海岸で岩裏で昼寝している自分を見て怪訝な様子だったのでカヤックに乗り込み漕ぎ進めた。
最低でも崎枝湾を漕ぎ川平の湾周辺まで進みたかった。
御神崎と比べたらかわいいもんだ。リーフと境目にはデカい白波が断続的にできていたけど、3mぐらいのうねりを進み川平に向かった。
外洋から白波の動きが弱い箇所をサーフィンのよう乗り越えリーフに入った。
川平の周辺の海は凄くキレイだった。
珊瑚と海底の砂がキラキラと輝いて光っている。透明度もよくカヤックは空飛ぶ絨毯に乗ってるようなふわふわした感じになった。
引き潮の影響で海はどんどん浅くなってく。
「浅くていやだなぁ…」
ファルトボードに乗ってるとFRPよりも特に船底を擦ることが嫌いになる。
潮は引いてくけど浜で少し休憩。どこまで漕いでいくか、キャンプする場所をざっくりと決めたい事だし。
当初、米原ビーチのキャンプ場まで漕ぐつもりであったけど体力的にキツかった。無理する気もないし川平湾を過ぎ
吉原の海岸でギブアップした。
米原に行くまでにクリスタルビーチを過ぎてく事になるけど、また一度外洋にでなくてはいけない事になるし面倒になっていた。
吉原海岸は地元の人が歩いているのをよく見かけた。テント立てる場所にあれこれ考えていたら声をかけてくる。
「どこから来たの」
「ここまでは潮が上がってくるよね」
特に気を遣ってくれた兄ちゃんと話しをしていた。
近くに売店あるかと聞くと車で送ってくれた。
一番近い売店は閉まっていて、吉原から少し走る場所まで行き、帰りも送ってくれた。
疲れた身体にビールをカカーッと飲み
今日を振り返り
テント立てるまでログ切ってないから休憩時間もあると漕いでる時間としては6時間程。
温まる鍋を作り明日の向かう先を考え
風と波の音を聞きながら、痛む肘を上向きになるよう横になり深い眠りについた…
黒島カヤック
つい最近だと
カヤックで黒島に渡った事
と言っても2回目。1回目は…隣の新城島で前日にキャンプしてから黒島に行こうと準備していたけど急に「明日仕事だからな」が発生して、ムカついて弾丸で黒島まで日帰りで行った事だ。上陸して泳いでさっぱりして帰っただけ。
大事にならずに済んだ事だが、新城島前で安永の定期船航路近くにいたことで邪魔をしてしまった。注意が足りなかった事に申し訳なかった(船内に仲の良い子が乗っていて2人の笑い話にはなっているけど)
日を改め、日程的に結局日帰りだけど朝早めに起き黒島へ向かった。
天気が良すぎてサングラス越しでも目が焼ける。太陽の右側に見える2つの島は新城島だ。黒島は新城島の更に奥。黒島は蜃気楼のよう、ボヤけて見えるか見えないかだった。
「うぅー暑い」
でっかい独り言、そればかりを口にする、海況は凪っていた。
新城島にて。新城の島民人口は少ない。人に会う事も無く、着いた浜周辺で身体を伸ばし、海を見ながら朝飯のおにぎりを食べていた。
一息ついて乗り漕ぎ進め、新城島から黒島までそこまで遠くない距離を漕ぐ。周辺からウミガメが急に増え始めて、見慣れた光景だけど息継ぎしてはチラ見して逃げる。
黒島周辺は特にダイビングやシュノーケルのポイントが多くダイビング屋の船が数えきれないぐらい黒島周辺を彷徨いていた。
おまけに今度はヘリコプターが頭の上でぐるぐる周り始める。
GOTOが始まってすぐだけど、夏のシーズンのような活気ついた遅い夏が八重山に始まったと感じた。
黒島に着いて、港に上陸せずに黒島のスポットである伊古桟橋に向かった。なるべく潮が高い状態で着きたかったからだ。潮が低いと桟橋周辺が干潟で少し残念な景色になってしまう。
黒島 上陸
海に浸かって身体を冷やし
カメラとお茶、おやつを持って桟橋の先まで歩いて行った。地味に、意外と歩く。
座って携帯食の黒糖とぬるいコーヒーを飲み、大の字になって暑い日差しを受けていた。
10月に入り、湿度も下がり暑いけど日差しも気持ちよかった。
黒島に住んでいたらひたすらここで釣り三昧だろうか、とか無駄な事を考えたり、周辺に見える島々を1日で全部渡れるのかとか考えたり。各島々が見渡せる伊古桟橋が少し気に入っていた。
昼飯は黒島で食べるつもりだったから港に向かった。
なんもねー
まっ島ってたらこれぐらいがいいよな。
港すぐ向かいのカフェで昼食にそば。
カフェと合わせてレンタルで自転車も貸し出していた。
歩いて島を巡ろうと思っていたけど、歩くには距離があると言われ、ママチャリを借りてサイクリングした。
港から最初の道を進み、先にはなーにも無い
ただ、真っ直ぐの道だった。
周りは牛だらけの島っていうだけに、牛が放牧されてウロウロとしていた。慣れるけど牛臭も風で伝わってくる。
ガジュマルの周りに沢山集まっている
港から10分前後チャリンコ走らし
亀やらサメやら、周辺に住む生き物達の博物館だった。
亀の甲羅って、骨なんだ。
てっきりヤドカリみたいに、家的なアレだと思っいた。
ミニカメちゃん
海で会ったらキライだが、水槽で泳いでいる姿は可愛かった。
1時間も居なかったけれどとっても満足。
最低限、そば食べて博物館に行くができてよかった。
時間もまだ余裕があって島をぐるっとサイクリングした。
集落の中心辺りまで集落の人を全く見ないと思っていたけど、公民館内が見えた時、島の大半の人が集まっていた。
売店に入ってビールとアイス買って(売店の女性がすんげー可愛かったのが印象に残った)
アイスかじりながら港方面にチャリンコ走らして、途中展望台を見つけて
いい天気にカヤックで島渡ってチャリンコ乗ってアイスかじって展望台でビール飲んで
黒島満喫
展望台からの景色も思ったより良かった
山が無いから平坦な島の景色が一望できるここで一息つくよう落ち着いた。
これから帰路となる海を進まなきゃいけない。
暑さを和らぐ風も少しは吹いて欲しい。
そう思いながらも感じる風はさほど無く、カヤックに乗り込み西表島に向かった。
帰り途中、死んだ珊瑚の集まりだけで干潮時に出現する、バラスに上陸して休憩しようと目の前まで近づいたら、どっかのショップが船とジェットバイクで先を越されてしまった。気にせず上陸しよと思ったけどジェットでバラスの周りをぐるぐる周り始め気分が下がってやめた。
暑くて暑くて、身悶えしながら戻っていった。
全体往復6時間前後
距離34キロ程。
微妙に山も入ってるけど
ある程度、周辺の島々へは渡った事になる。
行きたい場所はまだまだ尽きないけども
更に新たな場所へ目指せるようもっとカヤックと付き合っていこうと思った。