夏がもう目の前
毎日30度越え…夏だ…
暑い…
すでに夏バテ気味
丁度先月、月食を観測する事ができ撮影
撮影地西表島南西部地の鹿川湾にて。焚き火を背に座り月食を見ていた。
上手く撮れてるか別として…
20時頃から始まり月は地球の影に隠れ、赤い月が浮かぶ。満月の月は明るみを海岸に下さなかった。徐々に明るさを取り戻し、僅かな時間だけど、神秘というか感動というか。。。
月と地球ってやっぱ周ってるんだ。とか。
心から感動した夜空だった。
僕らは予想や分かりきったタイミングで日食や月食を見上げているが、昔の人達はさぞ驚いたろう。
月の神秘に魅了された時だった。
新しい望遠レンズ欲しいと念仏を唱える。。。
サガリバナもちらほらと咲き始め彩りがキレイになってきた、そんな西表島
次回は新しい艇が自分の元に。そんな話を
石垣を離れる友人
石垣の友達が本州に帰る事になった。
頻繁に会うって訳ではなかったけれど
会った時は昨日まで一緒にいたんじゃねーかと思うほど、空気感が好きだった。
帰ると分かってから、時折会うようになって出かけたね。
これほど楽しく笑った日が久しぶりで、静かな日から飛び出したようだった。
元々は仕事仲間。3人集まり石垣スポット巡りに車を走らせていた。
川平岬
川平周辺のスポットをぐるぐる走らせる。
川平タバガーにて
落ちてた椅子、波際に座ったら映えんじゃねーかとか言い、座ってもらうものの、映えなかった。笑
ハート岩(らしい)
川平から進み
歩いて秒で着くプチ滝。荒川の滝。
野底にてランチ
カレー屋「草ぼーぼー」
人気店なのか店内が人ぼーぼー。
マイナーなメジャーな場所。明石のパラグライダー発着場。
この日の海は絵画のよう海と空が美しく僕らの瞳を青く染めていった。
他にも写真はあるけれどもこれぐらいに。
楽しむ事に夢中になっていた。
時折、寂しくなるね。また会いたいね。とは口にするけども、それだけじゃ足りなかった。
何を思えばいいのだろう。何を伝えたらいいのだろう。
そう、考えている間に離れ別れの挨拶をしてしまった。
改めて思うと感謝の言葉を、いままでありがとうと伝えれば、きっと、よかったのかもしれなかった。
いつかまたどこかで会えるといいな。
その時が楽しみ。
梅雨入り
夏が来そう。
そんな雲と海、石垣を行き来する安永観光の船
明日ぐらいか梅雨入りだそうだ
沖縄住んでおいて言うことじゃないが
夏暑くてなぁ…。苦手なんだよな…
とは言っても、33回目の夏。夏らしい事を色々やってみよう。
シーカヤックの小さな旅行
急な出発であった。昼に仕事が終わり明日の予定も抜けてしまった。カヤックにキャンプ道具を積み、16時出発でもあった為、最短の距離で行ける所へ島渡りをしていった。隣同士にある島は2箇所とも新城島。北側は上地島、南側は下地島と呼ばれる。上地島に島民は住んでいるが、閉鎖的であり上陸はいいように思われない。下地島に在住の島民はおらず、私有地だそうだがキャンプするには下地島の海岸だけだと聞いていた。
19時過ぎには日没だ。10キロ程、2時間の漕行時間で渡り、西表島を見渡せる場所の海岸を選んだ。さっさとテントやら、慣れた準備を終わらし、沈む太陽は俺を炙るように照らす。ビールをグビっと喉をグビグビ鳴らし飲み込んだ。
その日の夕焼け空と夕日は雲の少ない空を染めていた。海と夕日が溶け合うさまを眺めていた。
夜メシの準備を進めていたけど、急いで準備したのが仇となり忘れ物だらけで笑ってしまった。
無くてもどーにかなるものばかりだが、箸もなけりゃまな板もない。クッカーに使うバーナーすら忘れていた。ガス缶は持ってきたくせに。
結局焚き火で済まし、箸は落ちていた竹をナイフで切ってそれらしく。白飯を1合炊き、キューブタイプの鍋の素を切った野菜とウインナーで煮込んで食べていた。腹は満たされず、スパゲティを茹で、タマネギをスライスしてツナ缶と和えスパスパ食べていた。
腹も満たされ動作はのろのろ、焚き火に流木を投げ込む。グダグダと過ごし西表島内の灯りを見渡し、島で付き合いのある人達の事や、今までの事これから先の事などを考える。凝り固まった頭をほぐすと言うのか、家に居るよりかマシな気がした。仕事の数も減り無駄な時間が増え過ごす毎日がバカらしい思える。
なるべく出かけるようにしているが、家では勉強したり読書や映画など時間を過ごしている。どちらにせよ静かな時間が増えて、ここのところ、感情の起伏がなくなっていた。色々と透明になる。こっちでよくある事なんだけど人付き合いも浅く広いだけ。家に籠った日は酷い自己嫌悪に苦しめられる時がある。自身の卑小さ、成長のなさ。仕事に打ち込むようにして蓋をする。見て見ぬふりを続けた挙句だ。以前までは、そこから目を逸らせる程度に忙しい。まぁまぁでやり過ごした。これが大人の処世術とやらみたいに。
西表の上手く友好関係を保てなかった以前仲も良く好きであった人もいる。原因は俺にある。11月終わりに本州の大切な友人が亡くなり、12月実家の家族、親戚の病。病院費。帰りたくても帰れない。気持ちが顔や態度を表していた。落ち着いたもの月日も経ち、味の無くなったガムみたいな会話はたまにある程度で、愛想も無くなってしまった。上手く話せない上、背を向け更に考え過ぎで言葉に詰まる。自分の不器用さが嫌いだ。そのクセに時折器用に立ち振る舞おうして、思ってない言葉を言う自分はもっと嫌いであったりする。
これから先の未来、いつかやりたい事だってある。むざむざと歳を重ね始め焦りがある。俺にとっては夢物語であり、本州でしたいことがあって実現できたら。
その為の中にカヤックがあって、その為の西表の生活を続けているが、もう離れてもいいかもしれない。
いてもたってもおられずこうしてひとり、小さな旅に出る。単調にパドリングを繰り返し落ちつかしてくれない海に向かい外で過ごした日は素の自分になる。感情が豊かになり視界と思考は鮮明であり、バイクに乗っている時もそう、目まぐるしく五感は鮮やかになる。
旅をすると旅は答えをもたらすのか、いずれ自分の暗闇がまた更に襲い、嫌いな自分とは向き合わなきゃいけないだろう。
黙々と焚き火に木をくべていると、月明かりに照らされている事に気づいた。
全てが明るく、ランタンの灯りも不要な程周りがよく見える。
写真を撮って
俺自身の暗闇は、明るくなるだろうか。明るくはならずとも、暗闇は少し薄くなり自分の奥底でそっとしてくれたらいい。幾ら旅をしたところで何年も生きた自分は簡単にころっと変わらない。何となく、付き合い方が分かってきている。小出しに付き合っては、飼い慣らすように、いつか馴染むことができるかもしれない。
答えは無いけど…。素直に向き合えたらいい。
月に照らされできた影の半身にそっと思いを込めた。
ラジオをつけたけど、まともに日本語は拾えず持ってきた小型スピーカーで音楽を流した。
ずっと音楽を流し月灯りの明るい海岸を散策し、焚き火に木を沢山くべてゴーゴーと燃やし狼煙を上げた。
長々と考えを巡らし時間は経ち
ぐるっと月は空をまわり海を照らした。
カヤックに乗り込み、月灯りの道を少し漕ぎ進んだ。濡れると寒かったが気にならなかった。
濡れた身体を拭い、テントに戻り気持ちは穏やかになって暖かい寝袋に包まって眠った。
数時間の睡眠から日の出と共に目が覚め、朝が眩しかった。夜に食べた鍋と同じ物を作り、更にそうめんを入れ、にゅうめん野菜鍋朝メシの出来上がり。カンカンと鍋を箸で音を鳴らし腹にかきこんだ。
コーヒーを淹れたヒビだらけのステンカップを片手に海岸の漂流物を蹴散らしながら散歩。
珍しい物らしく、透き通ったガラス玉を見つける。首から下げてるコンパスと大きさを比べた写真。
ガラス玉越しに見える海と空はより一層と青かった。
テントに戻って拾ったガラス玉を転がし、少しの読書から寝袋に潜り惰眠をとる。
太陽も少し上がり暑さに目が覚め、海で顔を洗い、汗流しに泳いで涼を感じる。
こっそりと夏が刻一刻と近づいて潮の満ち引きが季節の変化を分からせる。
タラタラとテント類を片付けカヤックに積み込み下地島南東辺りまで漕ぎ進んだが、潮が引いて途中から陸地に阻まれ進めなくなった。
アンカーを落としカヤックから海に飛び込む。下地島リーフ内は水深があって、魚達がのびのび泳ぎ溢れている。モリで突けるか試行錯誤するが、まだまだ未熟で下手くそ。待ち構えても目の前をウヨウヨするのは熱帯魚だけだった。
悩みすぎ考えすぎもあるだろう。めんどくさい奴だと思う。自身と向き合う歳になってきたのだろうか。漫然とただ楽しく人と遊んでスマホでゲームして過ごす時間よりいいかもしれない。
新しい変化や場所が変わればそんな事考える暇もないだろうが…
時折、溜まったガスは抜いて生きて、自然体でこれからも優しくありたいね。
カヤック旅 石垣島一周 後編2
2月22日 東風速4m
昼頃に出航予定。朝はゆっくりと木陰で読書していたが、世話になった人の息子のきんちゃんに暫く付き合っていた。朝のラジオを聞きながら、土遊びをして近くの遊具で遊び、きんちゃんとすべり台で遊んでいた。きんちゃんは朝メシを食べてないのか「ラーメン食べたい〜!!」って。残ったうまかっちゃんを作って2人ですすっていた。
皆の帰る姿ときんちゃんの寂しげな姿を見送り、最後に残ったあっちゃんも俺も、出発の準備をしていった。
最後にあっちゃんと海岸に座りタバコを吸いながら波打ち際を前に別れの挨拶をした。
「かずにい、無事終わったら連絡してね!」
あっちゃんは迎えから見送りまで、一緒に過ごせた時間はとても嬉しかった。彼女も自転車で平久保岬まで進むようだ。暑い日寒い日、天候が崩れる日もあるだろうけど、無事に彼女も過ごせる事を切に願った。
出航して振り返るとあっちゃんは遠くで手を振って「かずにいまたねー!」と声が聞こえ
見えるようにパドルを高くあげ「ありがとうー!」と声を送り別れていった。
伊野田の海を過ぎ白保へと、宮良海岸へと漕ぎ進む。時間には余裕があり、時折漂流するようにカヤックから足を外に投げ出し寝転がって雲一つない空を眺めていた
予報だと天気がいいのも今日までで、明日から風も強く吹きこんな風にのんびりしていられないのだろう。道草ばかり食ってないで漕ぎすすめ、終わりを迎えよう。夕方には宮良に着こう。携帯食の残った黒糖を食べ切って腕を動かした。
身体のあちこちが痛かった。歩いていたり椅子に座っている時は感じなかったが、漕ぎ出して暫くすると、ズキンとくる肘の痛みや、フットレストにかけてる足から膝のつけ根。特に腰への負担が強くあった。
白保地区に入り、近代的な建物の空港横の海を進み、真上上空を飛行機が行き来していた。轟音が耳に響き渡り、自然を通じた旅の景色は、近代的な新しい物の景色に変わってきた。
白保地区の海は格別にまた綺麗だった。エメラルドの海底に見える白保のテーブルサンゴをかき分けるよう、一漕ぎするたびサンゴは後ろ後ろへと下がり、海面まで眼下40センチ程だがカヤックは宙に浮かび進んでいるようだった。
宮良湾に入り、テントが張りやすく、友人と合流のしやすい場所を探した。宮良の海岸の殆どが足場の悪い岩が多く、最初は宮良地区の対岸に大浜地区があって、テントを張りやすそうな大浜海岸に着岸した。犬の散歩やランニングする人が行き交い、テントを張ろうと思った場所に犬がウンチする姿を見て冷めた。
結局宮良地区の海岸の、スロープから上げた周辺でテントを張り、さっさと着替えてルーティンワークの焚火の木材集め、白飯の準備や、ランタンを吊すための位置合わせ。ラジオのアンテナが良く拾う場所探しや…この流れも今日で終わりを迎える。
夕日は街の影にすっかり隠れてしまった。
残った食材と適当に拾ったアーサーを鍋につっこみ、炊いた飯をかき込むように食べ、ランタンの灯りで手元を照らし読書していた。
夜は少し寒かった。足先を暖める焚火は時折パチンと弾けては裸足の足に火の粉が降り「あちっ」っと小言を呟くも、焚火から離れられなかった。
暫くして仕事終わりの友人が遊びに来てくれた。差し入れに今日はエクレア。海旅に甘い物は無縁で、甘い物好きの俺は、淹れたコーヒーを片手にエクレアは嬉しさと甘さが口の中に広がった。
明日午前10時頃に迎えに来てくれる。最後の一仕事はそれまでにカヤックの分解と荷物のまとめをするだけだ。
友人に「もう終わった」と感じるのか「やっと終わった」と感じるか、どちらなのかと聞かれ少し答えに迷った。その時は疲れ切っているし、温かい布団で眠りたいだの思い、やっと終わったと答えは出したけども、次の日、カヤックを分解し一通りパッキングを済ました時にもう終わってしまったのか…と意思は変わっていた。そう思える事はきっと、自分の中で得た事が沢山あって少しの成長があったからこそ、そう思えたのだろうと答える。とにもかくにも、暫くの休息は必要だけど…
次の日の天気は予報通り崩れていた。北風が強く吹き朝は小雨が降っていた。風下の宮良では、雨はしとしと降りテントをパタパタと小さく叩いていた。
友人が迎えに来てくれて昼食に真栄里の食堂へ行った。
俺の拳ぐらいある、からあげにご飯大盛り。お店の人が「お兄ちゃんおかわり欲しかったら言ってね」んなバカみたいに食えるかと思ったが、おかわりしてはバカみたいに食った。
夕方まで友人と過ごし予定通り船で西表島に帰った。
漕行距離167キロ
たったの9日間だけど、いつもの9日間とは違う。ありがちないつもと、大きく違う生活を続けると、本来の自分の姿が現れ、自分らしかった気がした。
この9日間は出会えた方々に対して感謝の気持ちと、特にサポートや撮影をして共に過ごしてくれた友人にとても感謝している。どれだけ言葉費やし伝えても、感謝の言葉は足りない気がする。本当にありがとう。
もし同じように誰かが海旅をしたいと口にするならば、技術が伴えば一人で行く事も勧めたい。誰かと行けば、誰かとの時間に費やし、それもいい思い出になるけどね。
一人自由に進む事が出来たなら、そこには色々な人との出会いや、新しい可能性が、きっと広がると信じている。
それはきっと、海の広さぐらいにね。
石垣島一周の日記はここまで。また何かあれば。ふざけ記事かもしれないけど。
もしここまで読まれた方に、ありがとう。
カヤック旅 石垣島一周 後編
2月20日 南東風速3m
「帰ったらまた連絡してな」多良間島に行く船の準備をしながらそう言い、ショウキチさん達の早朝の出発を見送った。
見送り後テントを片付け、出発の準備をして、前日ショウキチさん達からおにぎりを作ってくれてたのをほうばりコーヒーを飲み静かな海を出航した。
風も弱く暖かく、天気も晴れ渡り大きな海原を漕ぎ進んでいった。
海は凪で伊原間の浅い海底が見えている。パチャン、パチャン、パドルが海を拾う音だけが聞こえる海を進んでいった。
友人が12時に平久保岬、石垣島の最北端の場所で待ってくれている。その時間に合わせ伊原間、久宇良を横目に過ぎていく。
時間を合わせるのに途中海岸でコーヒーを作って飲んでいた。
漕ぎ進んだ海を振り返って
「石垣島一周も半分を過ぎるか…」
毎日天気に恵まれ、風が味方となっていると、とっくに一周も終わってんだな…。自然相手のことに毎日好都合なことがあるわけないし、どちらかと対峙する事が多かったけど、そんな日々を耐え過ごした後は穏やかな日にとても感謝できる。
せっせ早く進んでいたらショウキチさん達にも会えなかっただろうが…
眩しい静かな海を、浜に座り眺め考えていた。
時間がきて漕ぎ進んだ。灯台で友人が手を振っている。待ってる友人の姿を見て嬉しくて嬉しくてパドルを高く持ち上げ合図をした。
灯台周辺には観光の人だろうか、人集りあった(後日友人からの話。観光の人にあのカヤックの人はお知り合いですかなど、その場で何度も声をかけられついでで観光の人達の写真撮影のサポートばかりするハメになったそうだ)
友人が望遠レンズで撮影した写真。スマホでは全くどこにいるか分からない写真になるようだ。
大海原の元では人はとても小さく、写真を見ると海旅の壮大なストーリーを物語っている。
友人は海岸まで移動していてくれて、軽く話をし、東海岸近くで会えればと話をした。
浜から海に戻る時。
今日は北風でいいんだよ…。微風ではあるけども向かいからくる南風は生温かった。3日間の寒空とは違い汗ばむ身体。スプレースカート(波が船室に入らない着用するカバー)も外してしまった。
北部東海岸は緑、茶、空の青、雲の白色の色彩だけで、島らしい景色、人が来ることもない。放牧された牛達が歩き回り、海岸近くまで降りるのもいれば、群れて草をついばんでいる。波音立てたカヤックをギョロっとした目つきで牛達は眺めていた。
友人が撮影ポイント近くに着いたら連絡してほしいと聞いていて、海上で電話のやりとりをした。指定された周辺に着いたが見つからないと…。何度も電話を切ってはかけて、小さな自分を見つけるのに苦労させた。
撮影場所にしたのは明石のパラグライダーが飛び立つ高台からで、肉眼では見えなかったようでカメラのファインダー越しに見つけたそうだ
空を飛んだ事はないけど、きっと、想像がつかないほど気持ちいいのだろう
撮影を終えた友人と電話で話し、夕方から仕事に向かっていった。カヤック旅を終え、会う時がとても楽しみだ。ありがとう。
明石海岸を越え漕ぎ進んだ先でスイッチが切れキャンプすることにした。
テントを張り、釣りをして魚を取りつつも、ヘマして根掛かりして、回収に潜りついでに泳いでは伊原間の海を楽しんだ。
2月21日 東風速3m
空の明るさがテントを照らし眩しさに目が覚めた。
食材も乏しくなって乾き物のパスタを茹で、玉ねぎとシーチキンを和えた。
ゴールは宮良海岸としていた。友人の都合もあり、明後日の午前に合流予定だ。今日、明日午前はのんびりしようと思い、少し漕いだ先に伊野田キャンプ場がある。シャワー浴びて冷たい水でも飲みたい。決めてしまえば準備はそそくさと済ませれる。
伊原間湾、玉取崎展望台を過ぎ伊野田周辺に着いた。
「キャンプ場どこだよ…」
道路からだとキャンプ場の入口はすぐ分かる。
海から見るとさっぱりだった…。地図を見ても漠然とも分からなかった。海岸には似たような入口がありふれている。暫く周辺の海をうろうろとしていた。海岸に着岸して歩いて確認しよう。
海岸に向かい漕いでいると女性らしき姿の人が手を振っているのが見えた。恐らくキャンプ場がある周辺だと思うが…。近づき姿が見え、髪の長い、ワンピース姿で麦わら帽子が似合う若い女性だった。
「カヤックが見えて手を振ってみて…来てくれたんですね」
そう言って、笑顔で話してくれたのが印象的だった。
少し話し
「キャンプ場を探していて、海からだと分からなくて…」と聞いて「今キャンプしてるから案内するよ」と。偶然にも彼女はキャンプ場でキャンプしている人で幸いだった。彼女はあっちゃんと呼び、あっちゃんはキャンプの施設の位置や、管理人の方や他のキャンパーを紹介してくれた。
以前のイメージで、閑散として誰もいない、静かな場所を想像していたけれど、近年のキャンプブームでキャンプ場は沢山の人で賑わっていた。
あっちゃんは面白い女性だった。石垣に来てすぐ働き先が休業となり、急遽自転車で石垣島巡りに出発し、キャンプは始めたばかりで、寝袋やクッカー等はあるがテントを持っていなかった…。余計なお世話だろうが女性一人テント無しは心配になるもんだ。
他のキャンパーとも俺はあっちゃんを介して仲良くなった。海から来た人と言われ話題になったようで、すんなり周りに溶け込むことができ、食材が余ってると言いながらも沢山のご馳走を頂いた。
夜も更けてあっちゃんの持っていたウクレレで音楽祭りとなった。キャンパーの皆は石垣島のバンド仲間のようで、島では名が通った人達だった。ウクレレが奏でる音楽と飲む酒に酔いしれ時間は過ぎて…
とうとう俺の石垣島カヤック旅も後少しで終わりを迎える。もっと孤独な静かな旅になると思っていたけど…。声はいつも聞こえ、寂しく渇くことはなかった。
枕元にある腕時計の秒針の残響音が心地よくその日の夜もぐっすり眠ってしまった。
カヤック旅 石垣島一周 中編2
2月18日 北東風速10m
前日の夜は寒すぎて、目が覚める夜で寝不足になっていた。
起きて港から海を見ても、湾内ですら海は荒れている。
昨日飲みながら、ショウキチさんが明日船着場に集まりがあるからよかったらおいでと聞いていた。
船を止めてる場所に行くと、漁友会の人達が数人作業していた。一隻の船を作成しているようで、挨拶をしてから少し手伝える内容だけ手伝っていた。
その後、サカグチさんから電話がなり「手伝って欲しいことが〜あってね〜公民館長からもお願いだと〜」挨拶も含め行き手伝い事を作業して昼食に近くの新垣食堂で牛汁を頂いた。
その後サカグチさんの車で、俺の運転でドライブをする事に。
最北部、平久保岬。天気は凄ぶるいいけど、目が渇きそうな程に向かいからの北風が強かった。漕ぐ海を見て、風が吹いていてもさほど海は荒れない事だけ分かった。
サカグチさんは市内に行く用事があったみたいで、行こうと言われ俺も服を買い足したく市内まで行き、その日の夜もショウキチさんや他顔ぶれも揃い夜食を頂いた。
2月19日 北東風速8m
20日、明日には風は収まり天気は回復するようで、そのタイミングでカヤック旅を進めよう。
今日少し荒れていたが野底、伊原間周辺の海をカヤックで散策することにした。潮が引いて行けなかった吹通川まで満潮に合わせて向かう。
「進んだ海を戻るとはなぁ…」
吹通川まで距離は感じるが、強い北風が背中を押して戻る海は楽だった。行きたい方向に船首はズレていく…
吹通川には満潮30分前ぐらい漕ぎ始めることができた。橋の下で沢山のサップを漕ぐ人を見た。初心者らしき動きで、ひっくり返す人が多くツアーで来てんだなと、横目に会釈しながら川を上っていった。
吹通川のマングローブ群落
荒れた海ばかりの時間を過ごしていると静かな川の時間が優雅なもので、時間の流れかたが植物達のリズムに切り替わり穏やかだった。上流の浅い場所まで行き休憩をとった。朝淹れたコーヒーをボトルに作っており、カヤックの上に座り飲みながら植物を眺めていた。
川は細い支流がいくつかに分かれていた。どの支流も短くあっという間に終わる。一通り巡り戻る途中、サップのツアーの人達とすれ違った。サップに立膝で座り漕ぎ、とても楽しんでるのが分かるほど大きな声で挨拶してくれた。
海に戻り曇っていた空は晴れ渡っていた。
元来た海を少し戻り、船越湾の外海沿いに久宇良に向けて北上していった。
外海真ん中に浮かび、遠くを見て点に見える久宇良の先っぽ。一口ボトルから水を飲み海を覗きこむ。青く澄んだ海が照らす太陽を吸い込み、光の束が海底へと伸びてるのが見えていた。
気が遠くなる程深い海の上を浮かび、見渡す限り空と大海原の上を漕いでいると地球の星の表面をカヤックで漕いでいるようだった。
久宇良から船越に向かってのんびり漕いで進んでいった。
伊原間の周辺の島の岩肌は海に削られ、琉球石灰岩の岩が多数点在していた。
こういうの好きな人は好きなんだろう
俺はこういうちょっとした穴が好き
暫く進み
階段…??
その先にはコンクリートの足場があり気になる…。道路に出れるのだろうか?カヤックを着岸して海を歩き足場に登って探索してみた。
高くそびえ吹き抜けた岩に囲まれ道。海の音が岩を反響して突き抜けていくようだ。
歩いているとトンネルのような鍾乳洞が分かれ道現れ、覗くと陽気な音楽が…。その時に理解した。
確か北部の(お金払って入る)鍾乳洞で、鍾乳洞を歩いた先海に出る場所と言われる観光地であった。
さすがに鍾乳洞の中までは入る気にならなかったので海沿いの道を少し歩き、パワースポットの看板がありその方向へ
まぁ、穴。
船越に戻り、その夜もショウキチさん達やサカグチさん達と過ごした。
明日には出発か…。同じ時間を長く過ごすと寂しくなってしまうもの。明日はショウキチさん達も多良間島方面に船を出航するようで、俺は人力だが互いに船出となる。皆と握手を交わし安全な航海を、楽しい1日を過ごす約束をした。
最後に俺の貴重品ボックスにサインを書いて思い出としてボックスを閉めた。