神戸に少しだけ
実は今
こっそりひょっこり神戸に帰ってる
緊急事態宣言延長の影響で西表の仕事がさっぱり止まったし、こんな時しか帰れないからだ。
墓参りやらと済ませ、コロナ時代もあるし現状帰省の空気的に微妙なことから帰った事をSNSでアップせず基本実家でこっそりひょっこり過ごしいる。
西表島から急に都会すぎて、刺激が強すぎる。
久しぶりで懐かしい事も含めいろいろ目まぐるしい。
同じ夏でも、沖縄より日差し強くはないけど無駄に暑いし、結構歩くし。行き交う人の多さから何も誰も知らない人達が沢山すれ違い、派手な街なのに少し寂しくも感じたり。お店も新しいご飯屋さんができてたり、潰れてたり。久しぶりに食う吉野家の牛丼が美味かったり。夜めっちゃ蝉鳴いてるし。駅改札出て先ず迷うし。
当たり前かもしれない事も時間が経ってから来ると忘れていた事や変化の多さに驚く。
久しぶりのハーバーランド
この日は一人バイクで来て、お店巡りと買い物しながら、写真も撮っていた。
海を覗くと何が混ざってこんな色になるのだろうかと見つめドブみたいな海に魚が泳いでいた。釣りしている人もいたけど、何が釣れるのだろう?
メリケンパークのマジックアワー
モンキーもカッコよく撮っておこうと、慣れない夜景撮影とバイクの組み合わせを撮っておく。
構図ネタが乏しいためとりあえず自撮り
慣れ親しんだ友人達にも会った。共に若い時間を過ごした、面白いヤツ。最近から昔の話しやらと話題が弾む。そんなアイツは頭に白いものが混じりくたくたのシャツを着ながらも一国一城の主となっていた。落ち着いた顔して「朝がきて夜を迎える。すっかりそんな毎日だ。こんな時期でも会いに来てくれて嬉しい」
西表から気持ち後ろめたさを感じながらも神戸に来たけども、少しの間だけど帰ってきて良かったと思い素直に伝えた。
小さな島の小さな世界観からせっかく出ている訳だし、少しの本州の時間を楽しもう。こっそりひょっこりと。
さぁモンキーとどこに行こう?
日帰り石垣島
4月初め頃。
初のカヤックリジット艇を所有する事になった。職場仲間でもあり、優しくしてくれている奥様から頂く事に。軒下に10年近くの放置艇だけど、初のリジット艇所有には申し分なかった。
艇はクオリティカヤックス製 サザンスクア
5m以上の大きなカヤックだ。それでも乗り込む際コクピットは狭いしシートは硬いし…。そんなもんだと慣れたら気にならないが。安定感があり乗りやすい。
慣らすのに近場から、20キロ前後の距離を漕ぎある程度荒れた海やらと慣らしていった。
西表島南西に位置する鹿川湾にて
南風で打ち上げられたゴミが半端じゃなく多かった…。
海底深く潜った先にもゴミあるし。
いつものファルトで長距離を漕行をしてきたが、新しいリジット艇では近場ばかりだった。正直長距離と言っても行く場がなくなってきた訳で、のんびり散歩程度やらと漕いでいた。
珍しい人からコンタクトを取ってきた。
知り合いのおじさんにお呼び出しをされる。シーカヤックで有名な方だ。オーストリア〜インドネシア、日本、海を渡った人はシーカヤックする上で身近に漕ぐ人達とは考え方が違っていた。もっぱら最近は、自身が漕ぎ進みたい潜りたい海は一通り終わったようだが…。
その方は50歳手前で、体力的には問題ないけど精神的には40代から下り目となると口にする。
「漫然と一日を生きるより目的を持ってカヤックを漕ぎ生活するといい」
そんな話をきっかけとなり
久しぶりに少し、距離を漕いでみたくなり竹富島と小浜島の間にある浜島、八重山のツアーじゃまぼろしの島と呼ばれる場所まで漕いで行った。
西表から一番近い小浜島を目指す。
何度も漕ぎ進んだ海だから見慣れた景色だった。南風が後ろから押してくる。気楽な感じでパドリング。
小浜島を左側に見過ごしながら、風に多少流される事を計算に浜島へ。
浜島かと思った場所に上陸
「なんか違う。砂浜じゃなかったか…」
大潮だし分かりやすく出てると…
300m先か、砂浜が見え…
「ここはまぼろし…?」
浜島?違うし。笑
一応本物にも
海に浮かび飯食って
石垣島が近くに見える
悪いムシが身体を動かし
13時だってのに石垣島まで漕いでいった。
竹富島〜石垣島間はマリンレジャーで船の行き来が多かった。海も荒れておらず平和だった。
14時半フサキ灯台にて
石垣着いて航海、じゃなく後悔。。。
そう今日は日帰り…
海で遊ぶ子供達や親と話、コーラで喉を潤して30分も経たないぐらいで西表島に真っ直ぐ漕いでいった。
眼下に黄金色に染めあげられた海が広がり、パドルが海を持ち上げパシャンパシャンと静かな音が全てだった。
思いつきで行ったには後悔する距離だったと反省。妙に声も掠れ、嘆きながら空を仰ぐ。
焦り、手早く動かすパドル、上半身と踏ん張る足の疲れがキツくなり…。海に一度身体を投げ飛ばした。片手カヤックを掴み、大の字で沖の海を流れる。他人からみたら危うくアレにしか見えないが…。包まれるよう海と一体となっていた。目も閉じてみる、流されながら聞こえる海の音に耳をすまし、気持ち落ち着かせ。。
夕刻は静かに夜を迎えようとしていた。
あの仲間崎を過ぎれば住む集落だ…。自分が浮かぶ今は深いのか浅いのかすら分からない。
港と橋の灯りがうっすらと見え一直線に漕ぎ進む。腕も勝手に動く。機械みたい。
帰ってきた時にはクタクタでコクピットから抜け出しすぐ大の字になり横になった。真っ暗な空はため息が溢れるほど満天の星空だった。
その日片付けなんて微塵もやらず帰ってビールを飲んだのは言うまでもないか…
さぁ次はどこに行こう?
夏がもう目の前
毎日30度越え…夏だ…
暑い…
すでに夏バテ気味
丁度先月、月食を観測する事ができ撮影
撮影地西表島南西部地の鹿川湾にて。焚き火を背に座り月食を見ていた。
上手く撮れてるか別として…
20時頃から始まり月は地球の影に隠れ、赤い月が浮かぶ。満月の月は明るみを海岸に下さなかった。徐々に明るさを取り戻し、僅かな時間だけど、神秘というか感動というか。。。
月と地球ってやっぱ周ってるんだ。とか。
心から感動した夜空だった。
僕らは予想や分かりきったタイミングで日食や月食を見上げているが、昔の人達はさぞ驚いたろう。
月の神秘に魅了された時だった。
新しい望遠レンズ欲しいと念仏を唱える。。。
サガリバナもちらほらと咲き始め彩りがキレイになってきた、そんな西表島
次回は新しい艇が自分の元に。そんな話を
石垣を離れる友人
石垣の友達が本州に帰る事になった。
頻繁に会うって訳ではなかったけれど
会った時は昨日まで一緒にいたんじゃねーかと思うほど、空気感が好きだった。
帰ると分かってから、時折会うようになって出かけたね。
これほど楽しく笑った日が久しぶりで、静かな日から飛び出したようだった。
元々は仕事仲間。3人集まり石垣スポット巡りに車を走らせていた。
川平岬
川平周辺のスポットをぐるぐる走らせる。
川平タバガーにて
落ちてた椅子、波際に座ったら映えんじゃねーかとか言い、座ってもらうものの、映えなかった。笑
ハート岩(らしい)
川平から進み
歩いて秒で着くプチ滝。荒川の滝。
野底にてランチ
カレー屋「草ぼーぼー」
人気店なのか店内が人ぼーぼー。
マイナーなメジャーな場所。明石のパラグライダー発着場。
この日の海は絵画のよう海と空が美しく僕らの瞳を青く染めていった。
他にも写真はあるけれどもこれぐらいに。
楽しむ事に夢中になっていた。
時折、寂しくなるね。また会いたいね。とは口にするけども、それだけじゃ足りなかった。
何を思えばいいのだろう。何を伝えたらいいのだろう。
そう、考えている間に離れ別れの挨拶をしてしまった。
改めて思うと感謝の言葉を、いままでありがとうと伝えれば、きっと、よかったのかもしれなかった。
いつかまたどこかで会えるといいな。
その時が楽しみ。
梅雨入り
夏が来そう。
そんな雲と海、石垣を行き来する安永観光の船
明日ぐらいか梅雨入りだそうだ
沖縄住んでおいて言うことじゃないが
夏暑くてなぁ…。苦手なんだよな…
とは言っても、33回目の夏。夏らしい事を色々やってみよう。
シーカヤックの小さな旅行
急な出発であった。昼に仕事が終わり明日の予定も抜けてしまった。カヤックにキャンプ道具を積み、16時出発でもあった為、最短の距離で行ける所へ島渡りをしていった。隣同士にある島は2箇所とも新城島。北側は上地島、南側は下地島と呼ばれる。上地島に島民は住んでいるが、閉鎖的であり上陸はいいように思われない。下地島に在住の島民はおらず、私有地だそうだがキャンプするには下地島の海岸だけだと聞いていた。
19時過ぎには日没だ。10キロ程、2時間の漕行時間で渡り、西表島を見渡せる場所の海岸を選んだ。さっさとテントやら、慣れた準備を終わらし、沈む太陽は俺を炙るように照らす。ビールをグビっと喉をグビグビ鳴らし飲み込んだ。
その日の夕焼け空と夕日は雲の少ない空を染めていた。海と夕日が溶け合うさまを眺めていた。
夜メシの準備を進めていたけど、急いで準備したのが仇となり忘れ物だらけで笑ってしまった。
無くてもどーにかなるものばかりだが、箸もなけりゃまな板もない。クッカーに使うバーナーすら忘れていた。ガス缶は持ってきたくせに。
結局焚き火で済まし、箸は落ちていた竹をナイフで切ってそれらしく。白飯を1合炊き、キューブタイプの鍋の素を切った野菜とウインナーで煮込んで食べていた。腹は満たされず、スパゲティを茹で、タマネギをスライスしてツナ缶と和えスパスパ食べていた。
腹も満たされ動作はのろのろ、焚き火に流木を投げ込む。グダグダと過ごし西表島内の灯りを見渡し、島で付き合いのある人達の事や、今までの事これから先の事などを考える。凝り固まった頭をほぐすと言うのか、家に居るよりかマシな気がした。仕事の数も減り無駄な時間が増え過ごす毎日がバカらしい思える。
なるべく出かけるようにしているが、家では勉強したり読書や映画など時間を過ごしている。どちらにせよ静かな時間が増えて、ここのところ、感情の起伏がなくなっていた。色々と透明になる。こっちでよくある事なんだけど人付き合いも浅く広いだけ。家に籠った日は酷い自己嫌悪に苦しめられる時がある。自身の卑小さ、成長のなさ。仕事に打ち込むようにして蓋をする。見て見ぬふりを続けた挙句だ。以前までは、そこから目を逸らせる程度に忙しい。まぁまぁでやり過ごした。これが大人の処世術とやらみたいに。
西表の上手く友好関係を保てなかった以前仲も良く好きであった人もいる。原因は俺にある。11月終わりに本州の大切な友人が亡くなり、12月実家の家族、親戚の病。病院費。帰りたくても帰れない。気持ちが顔や態度を表していた。落ち着いたもの月日も経ち、味の無くなったガムみたいな会話はたまにある程度で、愛想も無くなってしまった。上手く話せない上、背を向け更に考え過ぎで言葉に詰まる。自分の不器用さが嫌いだ。そのクセに時折器用に立ち振る舞おうして、思ってない言葉を言う自分はもっと嫌いであったりする。
これから先の未来、いつかやりたい事だってある。むざむざと歳を重ね始め焦りがある。俺にとっては夢物語であり、本州でしたいことがあって実現できたら。
その為の中にカヤックがあって、その為の西表の生活を続けているが、もう離れてもいいかもしれない。
いてもたってもおられずこうしてひとり、小さな旅に出る。単調にパドリングを繰り返し落ちつかしてくれない海に向かい外で過ごした日は素の自分になる。感情が豊かになり視界と思考は鮮明であり、バイクに乗っている時もそう、目まぐるしく五感は鮮やかになる。
旅をすると旅は答えをもたらすのか、いずれ自分の暗闇がまた更に襲い、嫌いな自分とは向き合わなきゃいけないだろう。
黙々と焚き火に木をくべていると、月明かりに照らされている事に気づいた。
全てが明るく、ランタンの灯りも不要な程周りがよく見える。
写真を撮って
俺自身の暗闇は、明るくなるだろうか。明るくはならずとも、暗闇は少し薄くなり自分の奥底でそっとしてくれたらいい。幾ら旅をしたところで何年も生きた自分は簡単にころっと変わらない。何となく、付き合い方が分かってきている。小出しに付き合っては、飼い慣らすように、いつか馴染むことができるかもしれない。
答えは無いけど…。素直に向き合えたらいい。
月に照らされできた影の半身にそっと思いを込めた。
ラジオをつけたけど、まともに日本語は拾えず持ってきた小型スピーカーで音楽を流した。
ずっと音楽を流し月灯りの明るい海岸を散策し、焚き火に木を沢山くべてゴーゴーと燃やし狼煙を上げた。
長々と考えを巡らし時間は経ち
ぐるっと月は空をまわり海を照らした。
カヤックに乗り込み、月灯りの道を少し漕ぎ進んだ。濡れると寒かったが気にならなかった。
濡れた身体を拭い、テントに戻り気持ちは穏やかになって暖かい寝袋に包まって眠った。
数時間の睡眠から日の出と共に目が覚め、朝が眩しかった。夜に食べた鍋と同じ物を作り、更にそうめんを入れ、にゅうめん野菜鍋朝メシの出来上がり。カンカンと鍋を箸で音を鳴らし腹にかきこんだ。
コーヒーを淹れたヒビだらけのステンカップを片手に海岸の漂流物を蹴散らしながら散歩。
珍しい物らしく、透き通ったガラス玉を見つける。首から下げてるコンパスと大きさを比べた写真。
ガラス玉越しに見える海と空はより一層と青かった。
テントに戻って拾ったガラス玉を転がし、少しの読書から寝袋に潜り惰眠をとる。
太陽も少し上がり暑さに目が覚め、海で顔を洗い、汗流しに泳いで涼を感じる。
こっそりと夏が刻一刻と近づいて潮の満ち引きが季節の変化を分からせる。
タラタラとテント類を片付けカヤックに積み込み下地島南東辺りまで漕ぎ進んだが、潮が引いて途中から陸地に阻まれ進めなくなった。
アンカーを落としカヤックから海に飛び込む。下地島リーフ内は水深があって、魚達がのびのび泳ぎ溢れている。モリで突けるか試行錯誤するが、まだまだ未熟で下手くそ。待ち構えても目の前をウヨウヨするのは熱帯魚だけだった。
悩みすぎ考えすぎもあるだろう。めんどくさい奴だと思う。自身と向き合う歳になってきたのだろうか。漫然とただ楽しく人と遊んでスマホでゲームして過ごす時間よりいいかもしれない。
新しい変化や場所が変わればそんな事考える暇もないだろうが…
時折、溜まったガスは抜いて生きて、自然体でこれからも優しくありたいね。
カヤック旅 石垣島一周 後編2
2月22日 東風速4m
昼頃に出航予定。朝はゆっくりと木陰で読書していたが、世話になった人の息子のきんちゃんに暫く付き合っていた。朝のラジオを聞きながら、土遊びをして近くの遊具で遊び、きんちゃんとすべり台で遊んでいた。きんちゃんは朝メシを食べてないのか「ラーメン食べたい〜!!」って。残ったうまかっちゃんを作って2人ですすっていた。
皆の帰る姿ときんちゃんの寂しげな姿を見送り、最後に残ったあっちゃんも俺も、出発の準備をしていった。
最後にあっちゃんと海岸に座りタバコを吸いながら波打ち際を前に別れの挨拶をした。
「かずにい、無事終わったら連絡してね!」
あっちゃんは迎えから見送りまで、一緒に過ごせた時間はとても嬉しかった。彼女も自転車で平久保岬まで進むようだ。暑い日寒い日、天候が崩れる日もあるだろうけど、無事に彼女も過ごせる事を切に願った。
出航して振り返るとあっちゃんは遠くで手を振って「かずにいまたねー!」と声が聞こえ
見えるようにパドルを高くあげ「ありがとうー!」と声を送り別れていった。
伊野田の海を過ぎ白保へと、宮良海岸へと漕ぎ進む。時間には余裕があり、時折漂流するようにカヤックから足を外に投げ出し寝転がって雲一つない空を眺めていた
予報だと天気がいいのも今日までで、明日から風も強く吹きこんな風にのんびりしていられないのだろう。道草ばかり食ってないで漕ぎすすめ、終わりを迎えよう。夕方には宮良に着こう。携帯食の残った黒糖を食べ切って腕を動かした。
身体のあちこちが痛かった。歩いていたり椅子に座っている時は感じなかったが、漕ぎ出して暫くすると、ズキンとくる肘の痛みや、フットレストにかけてる足から膝のつけ根。特に腰への負担が強くあった。
白保地区に入り、近代的な建物の空港横の海を進み、真上上空を飛行機が行き来していた。轟音が耳に響き渡り、自然を通じた旅の景色は、近代的な新しい物の景色に変わってきた。
白保地区の海は格別にまた綺麗だった。エメラルドの海底に見える白保のテーブルサンゴをかき分けるよう、一漕ぎするたびサンゴは後ろ後ろへと下がり、海面まで眼下40センチ程だがカヤックは宙に浮かび進んでいるようだった。
宮良湾に入り、テントが張りやすく、友人と合流のしやすい場所を探した。宮良の海岸の殆どが足場の悪い岩が多く、最初は宮良地区の対岸に大浜地区があって、テントを張りやすそうな大浜海岸に着岸した。犬の散歩やランニングする人が行き交い、テントを張ろうと思った場所に犬がウンチする姿を見て冷めた。
結局宮良地区の海岸の、スロープから上げた周辺でテントを張り、さっさと着替えてルーティンワークの焚火の木材集め、白飯の準備や、ランタンを吊すための位置合わせ。ラジオのアンテナが良く拾う場所探しや…この流れも今日で終わりを迎える。
夕日は街の影にすっかり隠れてしまった。
残った食材と適当に拾ったアーサーを鍋につっこみ、炊いた飯をかき込むように食べ、ランタンの灯りで手元を照らし読書していた。
夜は少し寒かった。足先を暖める焚火は時折パチンと弾けては裸足の足に火の粉が降り「あちっ」っと小言を呟くも、焚火から離れられなかった。
暫くして仕事終わりの友人が遊びに来てくれた。差し入れに今日はエクレア。海旅に甘い物は無縁で、甘い物好きの俺は、淹れたコーヒーを片手にエクレアは嬉しさと甘さが口の中に広がった。
明日午前10時頃に迎えに来てくれる。最後の一仕事はそれまでにカヤックの分解と荷物のまとめをするだけだ。
友人に「もう終わった」と感じるのか「やっと終わった」と感じるか、どちらなのかと聞かれ少し答えに迷った。その時は疲れ切っているし、温かい布団で眠りたいだの思い、やっと終わったと答えは出したけども、次の日、カヤックを分解し一通りパッキングを済ました時にもう終わってしまったのか…と意思は変わっていた。そう思える事はきっと、自分の中で得た事が沢山あって少しの成長があったからこそ、そう思えたのだろうと答える。とにもかくにも、暫くの休息は必要だけど…
次の日の天気は予報通り崩れていた。北風が強く吹き朝は小雨が降っていた。風下の宮良では、雨はしとしと降りテントをパタパタと小さく叩いていた。
友人が迎えに来てくれて昼食に真栄里の食堂へ行った。
俺の拳ぐらいある、からあげにご飯大盛り。お店の人が「お兄ちゃんおかわり欲しかったら言ってね」んなバカみたいに食えるかと思ったが、おかわりしてはバカみたいに食った。
夕方まで友人と過ごし予定通り船で西表島に帰った。
漕行距離167キロ
たったの9日間だけど、いつもの9日間とは違う。ありがちないつもと、大きく違う生活を続けると、本来の自分の姿が現れ、自分らしかった気がした。
この9日間は出会えた方々に対して感謝の気持ちと、特にサポートや撮影をして共に過ごしてくれた友人にとても感謝している。どれだけ言葉費やし伝えても、感謝の言葉は足りない気がする。本当にありがとう。
もし同じように誰かが海旅をしたいと口にするならば、技術が伴えば一人で行く事も勧めたい。誰かと行けば、誰かとの時間に費やし、それもいい思い出になるけどね。
一人自由に進む事が出来たなら、そこには色々な人との出会いや、新しい可能性が、きっと広がると信じている。
それはきっと、海の広さぐらいにね。
石垣島一周の日記はここまで。また何かあれば。ふざけ記事かもしれないけど。
もしここまで読まれた方に、ありがとう。