目標
沖縄本島を沿岸沿いに漕ぎ進み、そして各島々を渡っていき鹿児島まで渡る
seakayak journey プロジェクト計画中
資金難、足りない道具の買い足し。今まで必要の無かった物が考えれば溢れてくる。。
行こうと心に決めたこと。
ただその事だけを考え働き詰め、合間に計画を考える。
冒険や自由といったものは大抵の人は話を聞くだけでも本当は好きであって、特に、自分の事を考えるとそういった物事が人生の物語を歩んでいる。
その中にあるいくつもの考え方の中に、挑戦という要素を含めてみると、自分自身が可能な限りできる最大の挑戦であって、冒険であって、自由であって。それが可能性となった土俵に立ち大きく背伸びしたことが南西諸島の島々をカヤックで渡る事。
まず目標は生きること。
海を旅して、海に住む人々が各島々でどんな生活をしているものなのか知ること。
そして日々を綴ること。
風と海と自分が上手くいかない限り無理をしないこと。急がない事。
SNS関係も上げていくつもりだけど、かならず固執しないこと。つまり、快晴で凪なのに充電が追いついてないから行かないとか、本質からズレたこと。
柄にも無いことは無理してやらない。
終えたならば、本でも作ろう。
今年が上手くいかなかったのなら、来年に再挑戦しよう。
生きて、渡ること。
幸いな事に、相談相手にも恵まれて色んな意見を聞ける事。特に、海洋冒険家の八幡さんにお世話になり様々なことを教えてもらっている。仕事の都合で時々港で会う事から始まり、海の上で会った事がキッカケとなったのを覚えている。
バイクで日本一周して普通の生活に戻り、暫くして石垣に住み、とりあえずアルバイトなんてしてみたりと生活をしていた。石垣から西表に住み変わりその時初めてカヤックに乗ることに。
西表島に長く住むにつれて、以前の生活とはあまりにも世界が違い心にショック受けた。漁師は海で幸を獲り、山で野菜を採り、肉として生き物を獲る。生活程度に採れた物を金銭に変えて以外は、周りのみんなで共有しあう。石垣や内地では希薄だけど、西表島にはそういったみんなで分かち合い助け合うコミュニティがそこには、あった。
生きることへの根本的な事が西表のどこかにあった。
カヤックでもっと、海の側に住む人の暮らしを見てみたい。
カヤックは歩くスピードと同じぐらい、海の上を歩くよう。どこまでも行ける、行きたくなる乗り物だからこそやってみよう。
予定は6月末。
頑張ろう。
日帰り鹿川湾
何度も足を運んだ鹿川湾へ
空は晴れていた。ジトジトした雨ばかりの毎日にカビが生えそうでうんざりしていた。
何日振りだろうかと思う程の好天気に恵まれ8時出港で漕いで行った。本当は7時出発でありたかったけど、前日に人と飲み過ごして日付を跨いだ訳で…。寝坊してしまった。
往復8時間近くのカヤックになるけど、気楽に海を進んで行った。
真っ青な空。仕事続きの毎日を過ごした後の、海から感じる空からの眩い太陽は暑く思った。
モンベルのウインドブレーカーを羽織っていたけれど、乗り始めて30分しないで脱いでしまいすっかり夏の格好になった。
傍らで鳥さん達も日向ぼっこ
冬の海は透き通り魚達が泳ぐ姿が見える。
海亀が呼吸に顔を出しまた海底に深く沈んでゆく。
マンタが潮の流れにひらひら舞う泳ぐ姿が見えた時は嬉しかった。
遠く先に見える鹿川湾に船首を向け、無風の凪の海を人知れず、パシャンパシャンとパドルで海を鳴らし進んだ
海岸線にぽつんと転がった岩、豆腐岩を過ぎる。日帰り波照間の戻り、西表の輪郭がはっきり見えた時に現在地の把握に目印となった記憶が新しい。
豆腐岩やゴジラ岩とかはどこの地域にもあるもんだが…
鹿川湾に入った。いつもなら、このまま湾の奥の海岸に着岸するが、湾の南にある滝へ向かう
海を前に落ちる落水の滝
こんなに近くまで接近した事がなかった。いつもだと軒並み横一列に白波が崩れ、流れも早く海岸に近付こうものなら波に押され岩に激突しカヤックがブッ壊れる。
以前の写真。
数日前の雨の影響で滝が3段になっている。浅いリーフも短くて小さなうねりも入っている。
この日は本当に穏やかだった。
カヤックは海に浮かべたまま、滝を前に上陸して喜んだ。
更に茂み奥まで入り、つるつる滑る岩上を滝前まで進み、午前の太陽が滝を照らし綺麗に輝く虹に見惚れていた。気を抜いた瞬間に、足を滑らし思いっきり後ろの茂みに背中からダイブしてしまったのは笑い話…。笑
薙ぎ倒した茂みから撮影
落ちる滝で潮を洗い流し、滝を後ろに漕ぎ渡った海と空を見渡し太陽の光を感じる。格別に感じる爽快感と太陽の日差しの温もりが心地よかった。
時計とリズムを合わせて早々にカヤックに乗り込み、よくキャンプをする湾の奥まで、いつもの場所へ。
いつ来ても、ここは居心地いい、ような気がする。
昼食にパスタを作り、時間を見て漕ぎ帰る時間、距離を考え戻る方向にまた漕ぎ戻る。
午後から風も少し上がり、空模様もうろこ雲が伸び広がり曇り空に変わってしまった。
暫く、漕ぎながら頭の中で物事をずっと考えていた。
この次の日は阪神淡路大震災があった日だった。
震災があってから27年も経つと記憶も風化して、当時の家や長田の母親の実家(火災もあり被害が酷かった場所)幼かった7歳の自身にも分かる程、悲しい声が沢山聞こえ、誰もが前を見て歩く事ができなかった事を思い出した。
ただひたすら、みな、生きていく事に必死だったのだろう。
歳月も経ち今の自分は海の生活が中心で、時期に迎えよう挑もうとするカヤック旅がある。
海に出れば誰も助けてはくれない。
決して命を粗末に、捨てようとしてるわけじゃないけど、ただ強く生きなきゃと思うことをあの日振り返った27年経った今、より強く思う。
夢と現実とのギャップの枝葉をいつも見つけようとしているような気がする。
そんな事を頭の中ぐるぐる考えを巡らせて
帰りの4時間、黙々と漕ぎ帰った。
さぁ次は日帰り漕行はどこに行こうか?
日帰り波照間島
10/3
日帰り。
トレーニングを目的とし、凪のような風が無い日ではなくあえてある程度の風が吹き、海が少し荒れる環境を選んだ。
西表と波照間の間は水深がある。他の周辺離島と比べ起伏も多くうねりの大きさや流れも変化が出やすい。
海の力には必ず負ける。。どこまで向き合えて耐え戦えるか、自身の身の丈にあった内容を遂行することが今回のテーマだった。
いずれ計画段階の本州で長距離を漕ぐ時の為…
早朝、3時前後に起床。
とりあえず天気予報の再確認。
早朝から昼前まで北東風の風速3〜5m
12時頃から更に強まり東風の風速6〜7m
実際は更に吹くだろう。
4時過ぎに南風見田の海岸に着いた。まだ海に浮かんですらいないのに高揚感と緊張感が高まっていた。長距離や大きな事をする時には限って感じることだ。
海岸手前の森の中、車を降りてヤシガニが足元にいた時には驚いて運転席に飛びついてしまった。心臓が喉から飛び出すかと思うほど驚いた。
夜中の海岸手前の森は苦手だ。車から荷下ろし途中、ボンネットにこっちの巨大ゴキブリが目に見えた時には、頼むから飛んでくるなと(下から上にも飛ぶ)熊から逃げる人みたいに後退りでビビっていた。
準備も一通り終えて、海を前に、遠く先に灯台の灯りがおぼろげに見ていた。もう少し、朝焼けの空かと思っていたけど、真っ暗だった。
深呼吸をして
AM05:00
漕ぎ始めた。真っ直ぐ灯台に向かって。月明かりが何となく波照間まで続き、光に照らされた海を落ち着いた気持ちで漕いで進む。
夜の海にカヤックを乗った経験が少なく、被さる波などないか耳を澄ませながらパドルの水を持ち上げる音だけが聞こえていた。
やっと、遠くに見える波照間の島全体を視認することができた。
風が背中から、北東の風が押してくる。
4mぐらいだろうか。
振り返ると西表は遠く先となり、背中で感じていた風を前から受けると、風が手の平で掴めそうなほどに吹いていた。
AM 08:00
太陽も上がり海から反射した光が顔を炙る。
海の味がするおにぎりを頬張り
空を見上げれば、晴れ渡った眩しい空にアジサシやカツオドリが頭の上をぐるぐる飛び回り、蝶が風に乗って鳥と同じ、南の島に飛んでいく。海にはトビウオがあちこち風に乗って跳ね回り、それに向かって鳥は海に飛び込む姿。
カヤックは海のリズムに合わしたパドリングで、自分自身も海の一部に溶け込んでいった。
海底の起伏も大きくなり小さな三角波が目立ってきた。外洋がもう少しで終わる。
目前近くまで迫った波照間を目指す。ゴールはニシ浜だ。
航路避け、ニシ浜に向けて進路を合したつもりで漕いできたが、思ったより西に進んでいた。
海側から見たら左右横に伸びた島に見え、ニシ浜は思った以上に中心寄りだった。
ニシ浜の海岸は太陽をギラギラ反射して眩しい砂浜に人が点々と見える。
「もう少し、もう少し。」
外洋とリーフとの切れ目にサーフが立ち並んでいたが、リズムを合しカヤックサーフィンをして浅いリーフに飛び込む。
はたから見たら笑顔のずぶ濡れカヤッカーがどこからともなく漕いで来るように見えたろうか。
透明の波照間の水色のリーフは珊瑚と海底の砂がキラキラと輝き、美しさへの嬉しさに顔は綻んでいた。
AM09:00
漕行時間 4時間
漕行距離 30キロ
眩い砂浜に着き、カヤックは砂浜に上げ、海に浸かり身体を目一杯背伸びする。身体は調子いい。
観光の人が集まり、写真撮ってくれた。
港の売店行ってアイスとステッカーなんて買い
防波堤に立ちアイスをわしわし食べながら
漕ぎ渡った西表からの海を見渡す。
白…
AM10:30
観光の人達に会釈をしつつ、青い外洋に向けカヤックを漕ぎ始めた。
波照間の防波堤を過ぎ、東から強い風がきている。手を止める事ができない海だった。
どれほど時間がかかるだろう。
行きの時速と時間から、倍の時間の計算を予想していた。
リーフを過ぎれば真っ青な青の世界が広がっていた。時折太陽の光の束が海底深くに沈んでいくの見下ろし、気が遠くなる程の深い海の表面を霞み遠くに見える島に向かうカヤックは木の葉のようゆらゆらと。。
砕けたうねりが胸の辺りを撫でてくる。
常にデッキの上には飛沫と波が乗る。
海でビダビダになったおにぎりを食べる。一口噛み付いたら、PFDの胸ポケットにしまう。手を止めると自分が漕いだスピードよりも早い流れで流されていく。
中間過ぎた頃からカヤックのスピードが思うように乗らない事に気づいた。
「ハッチ内に浸水してるんじゃ…」
以前FRPで直した箇所があり、そこからか、また違う所からか。
やぼな重量がのしかかる。
(GPSで見返すとこの時が最低速度の3キロだった)
島の海岸や山肌も見え、島陰に入ったのか風も7〜8mの爆風から5m前後に落ち着き、カヤックのスピードは徐々にペースを上げることができた。
「もうこっちのもんだ!」目をギラつかせ腕を振り上げる。身体は至って調子がいい。
遠浅のリーフと外洋との切間に白波が立ち上がっているの見える。出発地点まで距離がまだあることから、地点に向かうまでの途中の海岸へ行こう。外洋の荒れた海ばかりにいると、平和な遠浅のリーフが恋しいもんだ。
爆ぜた白波の間を縫い進み西表の海岸に着く。
「やっと西表だ…」
着岸して外に吐き出した足はよろめく千鳥足。
砂浜に寝転び、生きていることの実感と喜びを感じていた。
喜んでキンキンに冷えたビールを飲みたいし、グビグビと喉を鳴らし、渡ってきた海に乾杯したい所だが、あいにくコーヒーとタバコで癒していた。
漕行距離 61.12キロ
漕行時間 12時間
日没と同時に最初の出発地点に帰ってきた。
これから先やるかやらないか言い切れない事でもあるけど、カヤックでやろうと思うことがある。
波照間に日帰りで渡った事は、カヤックを通じて新しい挑戦に身の丈が合うようになった。
その内容はもう少し、具体的になってから記事しようと思う。
この日は帰ってからのビールが美味かった。
月
暗くなるのが早くなったきた
残暑とはいえない暑い日が続く…
街宵の月
偶然にも月が上がってきた。
午前に仕事終わり海にいた。魚突きに夢中になりすぎ日が沈む中漕いでいたら、近くの大原港近海で月が見え始めた。
月は暗くも大きく見え、凪のような静かな海から平行線にある月を見ていると、自分がまるで地球の表面に浮かぶ宇宙船に乗り込んでいるようだった。
次の日、中秋の名月の事は分かっていたから事前準備をして月を撮った。街宵の月とは違う雰囲気。
帰ってきて、知り合い達と団子と餅食べながらお月見。ぱくぱく餅を食べ喉を詰まらし、酒で飲み込む駄目な事をした。
夏が終わる
夜の温度、海の温度が少しづつ冷たさが肌に伝わる。本州はもう長袖だろうか?
帰
待ち合わせにアジュール舞子公園で座っていた
相手が待ち合わせに遅れていて、時間潰しに明石と淡路島を繋ぐ明石海峡大橋やアジュール舞子の写真を撮っていた
沖縄の太陽のように炙る暑さと湿気とくる熱波もない、舞子の海風と一緒にしっとりした日差しだった
釣ったか!?ただの根がかりっぽい…
本州が釣りブームとはつゆ知らず。世間も舞子も釣り人、ファミリー達で賑わっていた。意外にも駐車場の関係かバイクで来る人達が多かった。
後日俺の師匠も釣りをしていたが、カブに物々しい車載で釣りに来ていた。
日が暮れてく…
とかしてたら待ち合わせの人が来て
お土産あげたりプレゼント頂いたり。
ありがとう。
沖縄より少し早い日没を過ごし、橋のライトアップを見慣れていたはずの事なのに少しワクワクしていた。
19時になるとレインボーに橋を彩る
20時を過ぎると明かりは消え淡白な輝き一つとなっていった。
気づけば帰る日時も近づき
残りの余暇を楽しみ
PCR検査も受けて
八重山に帰ってきた。
八重山友人宅のネコちゃーんズ。
コロナまっさかりの沖縄と八重山郡。
8月も終わり夏の終わりは近づいたけど、まだ少し、八重山の生活が続く。
ツーリング
モンキーに乗り昼出発
175号線を淡々と北上して久しぶりに見る田園風景が続く道のりを走って行った。
兵庫県朝来市生野銀山周辺までショートツーリング。片道100キロぐらい?
道中いつもガソリンを入れるスタンドでガソリンを入れ併設されたゼブンイレブンでセブンコーヒーで一息。
モンキーにハイオク(排気量を上げて圧縮比の関係上)だけど原付ってもあるしガソリンの値段は西表のよう高くないから気にならないのがいい。
(神戸のレギュラーが150〜の金額に対し西表は170円代…。しかもハイオク無い)
427号線に変わり新しくもない古くもない建物がまばらに続き、道を進むにつれて畑か家しかなくなっていった。
山に囲まれ広がる空と金色の稲が風に晒されて農作業するおじさんおばさんが土手に座り休憩する姿。流れる時間は雲のよう静かだろう。
ゆっくりバイクを走らせた。
道の駅かみにて
親子連れで河原でたくさん遊ぶ姿がほのぼのとする。どー見てもジーンズや靴を履いた子ども達がじゃぶじゃぶ小川を走り、スクール水着の子ども達の姿や、ワンタッチテントの前に紫外線フル対策の最強防備の母ちゃん。夏の田舎のひと時を過ごしている家族達が微笑ましかった。
道の駅入り口、右上にかみ高地と書いているのがじわじわと笑いがくる。
道路を挟んで反対側には神社がある。
杉に囲まれた青玉神社。賽銭箱に小銭を投げ入れ、願い事だらけの俺は何も考えず手だけ合わす。
少し、更に北上して青垣峠
ローカルな酷道へと
写真を撮る先の勾配が一気に駆け上がる。次第に道も狭くなる。折り紙を山折りにしたような勾配だ。ミニだからそう感じるのかもしれないけど。。
ビックバイクやデカい車じゃ楽しい道とは言い難いが(勾配がキツくあるのに対向車来たら死亡)
バイクで走るにちょっとワクワクする道だ。
写真撮ってたらじゃじゃ振りの雨が降ってきてずぶ濡れになる。
山の天気は〜とかよく言うヤツ
ピンポイントで降るな
雨の中進み
ここまで来た本来の目的は美人の湯 黒川温泉に行くことだった。美人目当てにそわそわ。可愛い子いたら…。美人の湯ってんな場所じゃないだろうけど
農道を走り黒川温泉前に着いたら休み。
美人いねーし。
ヘコみながら温泉先にあるダムからのどかな景色を見下ろし、生野銀山周辺だけぐるっと走り戻る事にした
初めて生野に来た日を思い出した。18才頃?
当時の彼女と一緒に原付2台(写真のモンキーがフルノーマルの時で彼女はトゥデイだった)で行った事がある。その時がバイクでの初めての遠出だった。
とにかく最初っから最後まで道に迷いに迷いまくって、当時はグーグルマップやスマホなんて無く、彼女は地図を持っていたけど地理の教科書にでも挟まってそうな物で俺は日本地図みたいな意味不明なのを。ネタにしか思えないけど、それでも真剣だった。クソ苦労した記憶ばかりだったけど最後にラーメン食って帰り楽しかった。
今回はソロでまたラーメン食って帰ったけど
久しぶりにモンキーに乗り楽しくて仕方なかった。
神戸滞在ももう少しで終わりの日が近づいた。
俺の誕生日が近づくと同時に。
来年はどこにいるだろう?